ID非公開

2021/4/15 14:26

2626回答

大昔の人は今より貧困だったのに 何で子供を5人以上とか生んでいたのですか? 食べ物を豊富になかっただろうし。

3人が共感しています

ベストアンサー

15

15人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さんの回答を見て 子供は立派な労働力の一種だったと解りました。 どっちの時代も良し悪しがありますね。 勉強になりました!ありがとうございました。

お礼日時:4/20 14:40

その他の回答(25件)

9

ID非公開

2021/4/19 10:49

貧困国や難民キャンプにも言えることですが、 生命活動としての本能というのもあるし、 子どもを持つことがセーフティネットでもあるから だと思いますよ。 朝ドラのおしんでも、今やってる「おちょやん」でも 描かれたきたように 「いざとなったら養子に出す」 「いざとなったら売る」 「奉公に出せば食い扶持が減る」 「いい奉公先に出せばあとはもう知らない」 「お金を稼いでる?ならその金は家に入れろ」 「お金をためたら親に家を建ててくれるはずだ」 「老後は子どもか嫁が世話してくれる」 と親が子供を搾取して当たり前だった部分もあるので。 大正生まれの私の祖父は8人兄弟の末っ子で (ほかに姉もいたらしいですが) 小学校卒業と同時に籠作りの職人の家に預けられたそうです。 衣食住全部その職人さんが面倒見てくれて 自転車も買ってくれて(当時ものすごい高額な私物) 結婚式もその職人さんがすべてお金を出してくれて 独立するときにもその職人さんが面倒見てくれて つまり親は何もしてくれてないんです。 そりゃ12歳まで育てるのだって大変ですけど、 でも、ほんとそれだけ。 祖父の話だと(何度も話してた) 結婚したときに両親と兄たちがお祝いにやって来て 酒一升しか持ってこなかった(お包み無し)あげくに、 お嫁さんのもっていたコートを良いわねえ貸してと言って 兄嫁が強奪していったそうです。 しかも返却されなかったそうで。 お嫁さんが輸入物の生地を買って自分で仕立てたコートで その生地の月賦(ローン)払ってる途中だったらしいので たぶん今で言ったら20万とか30万とかの着物みたいなものでしょう。 祖父が悔し泣きするのすごいわかります。 戦中戦後の食糧難の時は 親兄弟で配給米を融通し合ってたみたいですが 祖父は持っていかれるばかりだったと愚痴ってました。 それなのに 兄たちから親の家を建てるのにお前も出せと お金を強要されて 今で言ったら100万円くらいの金額を持っていかれたそうです。 戦争で亡くなった人もいて 親の家を建てるときは人数は半分に減ってた(4人?) みたいなので 時代だなとは思いますけどね。

9人がナイス!しています

4

子供は男の子なら寺の小僧か丁稚に出せば良いのです。 女の子なら女中に出すか女郎に売れば良いのです。 人権が問題にならないので子供にコストは掛かりません。

4人がナイス!しています

1

娯楽がないのと知識が出回ってなかったから。

1人がナイス!しています

3

富国強兵政策 産めよ増やせよ 兵隊さん 労働力の大量生産。

3人がナイス!しています