桐蔭学園が東大合格100人から0まで大凋落したのはなぜですか?

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2021/4/27 11:35

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当時、そのエリアで中学受験をやっていた実感からすると・・・・ ・東大合格が100人規模まで伸びたこと ・その後伸び悩みどんどん少なくなっていったこと これに「どこがやってもそうなっちゃうよ」という必然的な理由はないと思うのです。 あの地域の生徒で偏差値40代くらいの生徒からターゲットになる学校で、そんなにすごいのはほとんどないんです。せいぜい中の上。とても東大生の卵がたくさん埋まっているとは思えない。 なにしろ、上から下まで1学年が30クラスくらいある巨大な学校で、もちろん先生たちが頑張ったのもあると思うけど、ある時、波に乗り始める あれよあれよというまに、早慶が3ケタに乗り始め、ついには東大までも瞬間で3ケタに手が届いた、でも、中身が特別な何かをやっていた感じはほぼない。 あえて言うなら、30クラスという学校は今も昔もそうそうない。しかも、上から下まで成績次第。巨大な巨大なサピックスのようなもんです。 生徒たちは、あらゆるところからスパートをかけ、上は上なりに、下はしたなりに先生が熱く、なんとなくガンガンやって、現役で燃焼しきらなくても、気合で浪人して慶應くらいには食らい込む。 こういう子が30クラスの下の方にも、結構いました。 わたしが小学生時代に教えた子も何人もいます。 なにしろ小6当時は日大(日吉)がどうか?って子がああだこうだで慶應に届くのですから、本人はもちろんやる気になって伸びるんだけど、とはいえ簡単じゃないはずなんです。 そして、ある時、波が去る 「なんで、ダメになっちゃったんでしょうねぇ」ということをその後の20年くらいでずいぶん聞かれて「わかりません、わかりませんが、たぶん時代がずれた、こういう適当にやっていれば、そのうち何とかなるよ、という学校が時代に合わなくなった」んじゃないですかね・・・・というようなことを言っていた記憶があります。 今でも、何かをやったからでもなく、何かをやらなくなったからでもない、まるで座敷童様がさっていったかのように、波がなくなった。そう思っています。「流行性ネコシャクシビールス」のようなものか

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「桐蔭のカラクリ」がバレて、それが富裕層に嫌われたからです 桐蔭学園は、歴史は浅く、その昔は誰でも入れました しかし、その後1980年代に「野球で甲子園出場」「東大合格者急上昇」と世間の注目を集めます その「カラクリ」が、大量募集、徹底した能力別クラス編成、スポーツ特待の導入だったのです、その内容を参考にしようと多くの新興学校が視察に訪れました しかし、その結果、学校内は荒れ、「よからぬ噂」が学校外にも急速に広まりました それによって、神奈川の富裕層からは「桐蔭のカラクリ」が嫌われ、急速に受験者離れが発生しました 校舎の場所も決して交通の便の良い場所ではなく、それも少子化になって嫌われる原因となりました 余談ですが、桐蔭の没落と入れ違いに急速に難易度が上がったのが、浅野です

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他の私学が台頭してそちらに優秀層が流れたからです 桐蔭横浜大が上手くいかずそのイメージも悪かったんでしょう 今神奈川の私立は 聖光学院>栄光学園≧浅野>逗子開成、サレジオ>>鎌倉学園=神奈川大附属=公文国際>>>>山手学院>>桐光学園≧桐蔭学園という感じですが 昔は 栄光学園≧桐蔭学園>聖光学院>>浅野>>>>その他 と言った感じでした 桐蔭でも中等教育は今でも上手くいってます

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