①江戸時代に有った刑の1つ 江戸処払いに逢った者達は、当然江戸の町から出ていかなければならなかったのでしょうが、生まれも育ちも江戸の者に そういう刑が下った場合 どうすれば 良かったのでしょうか?。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

有り難う御座いました。

お礼日時:5/14 8:56

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処払いという刑罰は、「お前はもうこの土地の人間ではない」と宣言することに意味がありました。昔の人にとって、先祖代々の土地から絶縁されることは最大の不幸でしたから、それだけで十分に刑罰として通用したのです。 しかし、こうして生まれ育った土地を永久追放された人は、まともなやり方では食べていけませんから、犯罪者にでもなるほかないわけで、かえって治安は悪化するでしょう。 そこで、実際には、処払いになった人が以前と同じ場所にいるところを役人に見つかっても、「先祖の墓参りにきた」と答えれば見逃されていました。それは、処払いが、名目上の刑罰であって、その人の生計の道まで奪うことを目的とするものではなかったからです。

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①大抵の場合は多摩地方や上州・甲州・駿州などに流れ着いて無宿人となりました。これらの地方は江戸に近いことから財政的に豊かであったため、河川の整備や土木工事などに従事させようと、名主たちが無宿人を雇っていたのです。 こうした無宿人の囲い込みが、江戸時代後期には博徒(やくざ)へと発展していきます。 ②普通に街道を歩いて出入りしました。徒歩だと当然時間がかかり、そのため街道沿いには宿場町が発展していったのです。

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故郷が江戸であろうと、江戸処払いとなれば二度と戻れません。 誰でも江戸には入れましたが、農民が入っても仕事が無く 「のたれ死ぬ」だけだったでしょうね(>_<)

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