ノルマンディー上陸作戦のころはドイツ軍には戦闘機がほとんどなかったと聞きました。

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

その他の回答(7件)

1

【ノルマンディー上陸作戦】「ドイツ空軍」 ドイツ空軍は、この時フランス北部沿岸全体に183機しか戦闘機を保有(そのうち使用可能機は160機)してなかったが、国防軍最高司令部は、この内の160機を、フランス北部沿岸地帯から移動させる決定を下す。それはドイツ本土への空爆に対応させるためと、残り少ない戦闘機を、とりわけ爆撃の激しいフランス北部沿岸で損耗させることを避けるためだったが、国防軍最高司令部が海の荒れる6月には連合軍は上陸しないと見ていたのも大きな要因である。このおかげで、6月6日当日の上陸作戦に対し、リールにあったJG26(第26戦闘航空団)からヨーゼフ・プリラー大佐とハインツ・ヴォダルチック軍曹の駆る2機のFw-190戦闘機が出撃し、上陸中の連合軍に一回の機銃掃射を加えたのが、ドイツ空軍戦闘機が唯一行った上陸作戦に対する攻撃となった。しかし、その状態は当日のみで、ドイツ空軍の立ち上がりは早く、D-day翌日には15個以上の飛行隊が可及的速やかに異動され、その結果約300機ほどの戦闘機が西部戦線に配備されたが、連合軍空軍に比べると明らかに劣勢であり、7月に入る頃には170機ほど失い、壊滅的状態に陥った。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%8A%E9%99%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6 今もフランスに残されているドイツ軍の砲塔。 ノルマンディー上陸作戦の激しさを実感する。

画像

1人がナイス!しています

0

1945年1月1日にドイツ空軍が行ったボーデンプラッテ作戦まではドイツ空軍もそれほどの損耗は無かったはずで、他の回答者様が言われる通り東部戦線やドイツ本土防空にあたっていたため、連合軍のノルマンジー上陸に対して余り有効な反撃が出来なかった様です。 それでも、ドイツ空軍は映画「史上最大の作戦」ではヨーゼフ・プリーラー大佐が率いるたった2機の反撃しかなかった様に描かれていますが、実際には英米軍の上陸地点に対して爆撃も行われていたはずです。

1

ノルマンディー上陸作戦時、ドイツの戦闘機はフランス北部沿岸に約180機保有(そのうち稼働可能な機体は約160機)しておりましたが、この頃のドイツ空軍には余力はなく、それでもドイツ空軍側はノルマンディー上陸作戦後に、十数個の飛行隊をかき集めて速やかに西部戦線に異動させて、約300機ほどの戦闘機が西部戦線に配備されて、空戦や対地攻撃に出撃しましたが、戦力差で連合軍の空軍に比べると圧倒的に劣勢で消耗戦になり、7月に入る頃には半数以上の機体を失い、ドイツ軍は制空権の手に入れることができませんでした。

1人がナイス!しています

1

ノルマンディー直前、フランス領土はドイツが占領していたけど、ドーバー海峡沿いの制空権はイギリス空軍が取っていました。 ルフトヴァッフェにはフランス全土を守るだけの戦闘機は無かったのです。 じゃあどこ行ったの?と言われると、ドイツ本土に連日の様にやって来る英軍爆撃機のお相手と、ソビエトからの反撃に立ち向かう為、数多くの戦闘機を持って行ってしまいました。 それでもソビエト領内で戦える戦闘機の数が足りず、輸送機に護衛機が付かず餌食にされる事もしばしばあり。 ドイツ本土防衛も戦闘機不足を補う為、高射砲塔通称フラックタワーをあちこちに作るも、今度はそれを目標に爆撃が増え逆効果。 工業地域の爆撃も増えて、ベアリングを作る工場が破壊されたのはかなり痛かった様で、この小さい部品の生産ががた落ちのせいでエンジンの生産も落ち込み、戦闘機の数も減ってきた。 という事で、何処の戦闘で激しく消耗したと言うよりも、戦争の戦略戦術によって、戦闘機の数が徐々に減って行ったという事です。

1人がナイス!しています

0

たくさんあったよ ただソ連の侵攻が激烈で ほぼ全部そっちに送らないといけない状況だった