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2021/6/2 2:23

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助けて下さい。ふと特殊相対性理論について考えたら、今まではわかってたはずなのに、考えれば考えるほど良くわからなくなってきました!寝れません笑

物理学223閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

回答(5件)

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たぶんアインシュタインの相対論だけで考えるから、訳わからなくなるのであって、そもそもガリレイの相対性原理は、異なる慣性系で見え方が違って(景色)もその中での落下は同じ(スケール不変性)、つまり物理法則の同等性を言ってるんです。それをニュートンの絶対時間で縛っちゃうと、特殊相対論のお互い様に時間が遅れるミンコフスキー時空のようなその事象が起こる新たな舞台が必要になるのだけど、ガリレイの相対性原理は、ニュートンの絶対静止系に縛られないので、異なる慣性系ごとに不変性(観測者の時間の進み方は同じ)ということと、異なる慣性系間の見え方が違うというのは、同時に起こるから、重力や無重量状態が発生するんです。 ニュートンがガリレオやケプラーの物理を絶対時間(客観的存在)と相対時間(主観的実在)に分けて、体積力(遠隔作用)にしたのが、万有引力の法則や運動方程式です。 https://note.com/s_hyama/n/n61ce8d86d851 特殊相対論の場合、系の階層構造の中で起こる不変性を、結果から光速度不変と言う原理でしばっちゃうので、混乱させますというか、階層でないお互いに時間が遅れるような大域的な慣性系は現実にはありません。 超絶相対論(光速差から生成されるガリレイ系) https://note.com/s_hyama/n/nda939a973f93 もう少し現実的なこというと、異なる系に光が入ると光が干渉してその入った系でいろいろな経路を通っている中から、入った系の光速が一定になる光のみが選択されるんです。これは高校で習うフェルマーの最小時間の原理とか、ファインマンの経路積分など調べてみるとよいでしょう。これはラグランジアンが一定になる最小作用原理でもあります。 >だから時間も光も絶対じゃない(絶対的の反対が相対的)。自分しか信じれん!という理論です。 違います、この方もぜんぜんわかっていません。 ちゃんと特殊相対論を理解しようとするなら、それだけでなく、総合的な物理理論に対する知識が求められます。 >この結果を考慮すると、回転系は遠心力がかかるけれども、この事によって時間の遅れがさらに増すような事は起きないという事になるのではないでしょうか。 これもなにも理解してなく回答してまして、エネルギーと時間は共役関係があるので、 フライバイ アノマリーは、光の速度がすべてのフレームで等方性であり、ドップラー効果によって宇宙探査機の速度を測定するために使用される方法が不変であるという仮定の結果であると想定されています。[14]測定された一貫性のない異常値:​​ 正、ヌル、または負は、この仮定を緩和して単純に説明されています。フライバイ操作中、観測者の方向へのプローブの速度成分 Vo は、プローブによって送信された無線周波数 f の相対変位 df に、ドップラー効果による光の局所速度 c' を掛けたものから導出されます。 Vo = ( df / f) c'. Céspedes-Curé仮説によると、[15]可変重力エネルギー密度フィールドを介した移動は、空間の屈折率 n'、したがって光速 c' のわずかな変化を生成し、不変量 c に基づくドップラー データの説明されていない修正につながります。これは、地球の基準系でのフライバイ操作における速度またはエネルギー変化の不正確な推定につながります。 説明されていない横方向のドップラー効果 —つまり、ゼロの半径方向およびゼロ以外の接線速度による光源の赤方偏移。[13]しかし、これは測距データの同様の異常を説明することはできません。 まさしく赤道と極点では、時間の遅れ方が違うので、距離が変わってみえてるのが、未解決問題になってます。 https://note.com/s_hyama/n/n9876328c9296 >変化は人それぞれです。なので、それらが他人と同じなのか、確認することすらできません。 クロック同期はアインシュタイン同期でなくても簡単にできるので、無知なだけですね。 Einstein(1905)は、光伝搬の物理的性質を容易に検証できるように(a)と(b1)(b3)を減らす可能性を認識していなかった(下記参照)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Einstein_synchronisation >わかってないと思います この方も解ってないのに、質問者にわかってないといいます。 この 2 つの原理に出てくる「慣性系」は,大域的な慣性系である。 https://www.phyas.aichi-edu.ac.jp/~takahasi/Project_H_pdf/Rel.SgrA.2.pdf この大域的な慣性系がなく局所慣性系と言うのが、学者のいうところです。 ないことを分かる必要もないんです。 以上のようにアインシュタインの相対論は何も知らない回答者が知ったかぶって回答しまくるのを、添削するのは大変なのが、おわかりでしょう?

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>今まではわかってたはずなのに、 わかってないと思います 相対性理論とは、相対的 という意味で 私から見た、東京までの距離と、貴方から見た東京までの距離 違いますね? それと同じように、時間も相対的なのです 例えば、同時も相対的です。 電車が動いていて、両端に光が到着するのは、電車に乗っている人からすると 同時ですが 地球にとまっている人からすると、同時に光は到着しない ずれて到着する 電車が大きければ、そのずれは大きくなり 200年とかの差も出ますけど 電車に乗っている人からすると、同時です。 電車に乗っている人から見た、同時「今」は 止まっている人からすると、100年前の過去と100年後の未来です それを、動いている人は「同じ」「今」同時というわけです。 時間も、見る人によって変わる、相対的なものなのです なので、過去は、流れ去らず消え去らず、未来もすでにあるわけです アインシュタインは言ってます 過去現在未来 それは、見る人によって変わり その区別は幻想にすぎないと これが相対論です 時間を絶対的に考えてはいけない 速さが光の速さに比べて小さい、日常で そう考えてしまう、その日常が邪魔をするだけの話で 時間は相対的 過去も未来も今も、見る人決めないと決まらないわけです 100年前の過去と100年後の未来を「今」という人もいるわけだから なので、相対論 相対的なのです。

遠く離れたところでは、「今」は何年もずれたりします 遠く離れた宇宙人は、我々から見た過去 ベートーベンが生まれた過去と、まだ見ぬはるか遠い200年後未来 を「今」といったりするわけです 時間と空間が密接に絡み合うことが、わかるでしょうか? 今というとき、動いている人の今は、空間ごとにずれるわけです ローレンツ変換見ればわかります 空間ごとにずれるので 運動している人の今がずれて、 進みの遅い時刻さしている運動している人を、止まっている人は今と答えるわけです 観測者ごとに今が違うわけです。

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>結局動きが速かろうが遅かろうが時間という概念上では皆平等ではないのですか?それともやはり時間は個人個人で違うものという答えで良いでしょうか。 →そもそも時間とは変化です。 現在の変化のある程度の幅を我々は「今」として認識しています。 変化は人それぞれです。なので、それらが他人と同じなのか、確認することすらできません。 しかし、それでは社会生活が送れないため、便宜上、1日を24時間にし、1分、1秒という決まった幅を作ったわけです。 その便宜上の時間を使用した場合、ある人が光の速度で動いて、ある人がそれを見ていたら、そしてそれらを相対的に比較した際、時間のずれが生じるというものです。 動いている人からすれば、止まっている人の1秒は1秒より早くなり、止まっている人からすれば動いている人の1秒は1秒より遅くなります。 しかしこれはあくまで相対です。比較して初めてズレが生じるのであって、それぞれの人の時間スピード、変化のスピードが速くなったり遅くなったりしているのではありません。

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なんとか光論とかいう輩に批判されましたので反論します。 > クロック同期はアインシュタイン同期でなくても簡単にできるので、無知なだけですね。 →私は同期の話なんぞしていません。主観的変化の幅の話をしたまでです。具体的にいうと、ベルクソンの純粋持続を踏襲して記載しました。 それすらわからずに、等質的時間の同期と錯誤している時点で無知としか言いようがないですね。前提にしている領域が狭い。

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えっと、光をボールと比べて話せば分かりやすいかもしれません! 電車にボールを持ってるAさんがいて、それを踏切から見ればボールは右から左へ動いているように見えますよね。ボールを1mの高さから落としたら、踏切から見ている私にとって斜め移動、つまり1m以上の距離をボールが落ちているように見えます。でも床に着くのは同時です。 しかしこれがボールではなく光になると変わります。有り得ない機械ですが、1mの距離を1秒かけて上から下へ光が動く装置があるとします。電車内のAさんにとって1秒後には光は床に到達します。しかし、踏切の私から見ると斜め移動、つまり光は1m以上動くことになり、踏切から見ると1秒後はまだ床に到達していないのです。 この時点で私とAさんにとっての『1秒』がズレてますね。 なんていうか、質問者さんはこれをゆっくりに見えると勘違いしてるっぽいですが、これはどっちかというと、光が移動する距離が『斜め』になり『長く』なったので光の速度は変わってないです。 さらに言うと、踏切から見て光が床に到達した時、踏切の私が旗を上げたとします。電車のAさんから見ると「旗上げんのおっそ!何秒前の話やねん!」って話です。でも踏切の私から見るとどうしても床に到達した瞬間なんです。これがなぜか本当に起こってしまう。。気持ち悪いですね。 これをどんどん膨らませます。もっともっと電車を飛ばしまくってずっと乗ってるとします。Aさん視点、1秒を測る機械は180回床に到達しました。3分経ったのでカップ麺も出来上がりました。それを私はものすごい視力で踏切からその光が床に到達した回数を数えています。90回でAさんはラーメンを食べ始めました。「いや食べるん早すぎやろ!?」って感じですが、電車内にとってはきちんと180回経っているんです。 だから時間も光も絶対じゃない(絶対的の反対が相対的)。自分しか信じれん!という理論です。