ID非公開

2021/6/22 1:27

44回答

倒幕の密勅

補足

その後、大政奉還をして倒幕の密勅を有名無実化し、大政復古の大号令をするも上手くいかず、それでも倒幕を完遂したい島津・萩が赤報隊を組織し江戸でテロを起こし徳川を挑発し…鳥羽伏見の戦い~戊辰戦争に発展 事実上の倒幕に成功させた 密勅の中に会津藩松平の抹殺があったが戊辰戦争中にこれも完遂した、これも松平に憎しみを持っていた萩の報復したい意向を感じられる。 この経緯を観ると、密勅は島津・萩の意向が多く含まれていることから島津・萩が公家に作らせた偽勅としてみるべきではないでしょうか? 考えが安直ですか?

日本史51閲覧

2人が共感しています

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ID非公開

質問者2021/6/22 20:43

天皇は関係無い? 勅書が偽物だとしても存在を知らなかった訳ではないので関係ありですね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様回答頂きましてありがとうございました

お礼日時:6/23 22:45

その他の回答(3件)

0

後の小御所会議の折、「幼冲の天子を擁し奉りて、政権をほしいままにせんとは」と容堂が発したとされますが。当時の天皇と薩長の関係を表現するに、言い得て妙かと。

0
0

ID非公開

2021/6/22 5:55

討幕の密勅とは、1867(慶応3)年10月14日に朝廷が薩摩・長州両藩に対してひそかに出した討幕の勅書のことです。 討幕とは、武力を使って幕府を倒すこと。勅とは、天皇が出す命令のことです。 この密勅は形式が異例なため、偽物だったのではないかという説があります。 1858年、日米修好通商条約が結ばれた後、庶民は物価の高騰などに苦しみました。 そのため、「外国を追い出せ!」という攘夷論が盛んになります。 特にこの攘夷論を強く唱えていたのが長州藩。長州藩は幕府や朝廷に働きかけ、攘夷を決行させようとします。 また、生麦事件でイギリス人を殺傷した薩摩藩もイギリスとの関係が悪化していました。1863年3月に上洛した14代将軍の徳川家茂は「攘夷をしろ!」という内外の圧力に負け、朝廷に「5月10から攘夷を実行します」と約束します。これにより、長州藩や薩摩藩は外国と戦う理由ができました。 しかし、長州藩は四国艦隊下関砲撃事件(下関戦争)で、薩摩藩は薩英戦争でそれぞれ敗北してしまいます。 薩摩藩と長州藩は攘夷の不可能を悟らざるを得ませんでした。薩摩・長州の両藩は、外国と対等な関係になるためには外国の技術を取り入れるだけではなく、日本も欧米のように中央集権の国を作るべきだと考えるようになります。 しかし、江戸時代の日本は中央集権には程遠い状態でした。 そこで薩摩・長州両藩は、日本を一つにするためには江戸幕府を倒して天皇中心の国を作らなければならないと考えます。 そして、1866年土佐藩出身の坂本龍馬の仲介で薩長同盟が結ばれました。この同盟は、幕府を倒すことを目的とする軍事同盟です。孝明天皇の存在は、薩摩藩や長州藩にとって厄介なものでした。というのも孝明天皇は外国嫌いで徹底的に攘夷をするべきだと考える一方、幕府を倒すつもりはありませんでした。 孝明天皇は朝廷と幕府が手を組むべきだとする公武合体の考え方を持っていたのです。そのため、妹の和宮と14代将軍家茂の結婚も許可しました。しかし、1867年12月25日、孝明天皇が疱瘡という病で急死してしまいます。薩長両藩にとって、もっとも厄介な人物が死んだのです。 あまりのタイミングの良さから、孝明天皇は討幕派によって毒殺されたのではないかとの説が出たくらいですが、真相は不明です。 かわって即位した明治天皇は15歳。孝明天皇のように、公武合体を進めるという考えは示していませんでした。岩倉具視は未だ中級貴族でした。 岩倉は孝明天皇の信用を得て和宮と14代将軍家茂の結婚などで活躍しましたが、「幕府に近すぎる」と尊王攘夷派に批判され隠居させられていました。そこで薩長は岩倉の政治力に目を付けます。隠居させられていた岩倉は表舞台に出ることができませんでしたが、裏から有力公家を動かします。 そして、1867年10月14日、薩摩藩と長州藩に討幕の密勅が下されました。討幕の密勅では、徳川慶喜がみだりに忠実で善良な人々を殺傷し、天皇の命令を無視していると批判しています。 このまま徳川慶喜を放置していれば日本は滅びてしまうので、この命令を書を受け取ったもの(薩摩藩主・長州藩主)は速やかに徳川慶喜を滅ぼせとも命じています。この討幕の密勅は、以前から偽物だったのではないかとの疑いがあります。 天皇が出す命令には一定の形式がありますが、その形式とあまりに違うからです。本物とみなすには、「あやしい」ものだったことは間違いありません。 薩長や岩倉は、かなりきわどい「密勅」を使ってでも幕府を倒したいという執念をもっていたことがうかがえます。 添付する画像は当時の本物の「討幕の勅書」です。天皇の名前は在りません。

画像

ID非公開

2021/6/22 15:56

当方は史実にのっとり現在研究されている「討幕の詔書」の経緯をほぼ正確に記載した心算ですので、歴史に埋もれた「闇」を炙り出すことなど到底不可能と思います。各自が各々推量されるのは勝手だと思いますが。