戦国時代の経済について。 .貫高制から石高制に移行したのは何故ですか? .石高とは、ほぼ人口と考えてよいのですか。

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ありがとうございます。 石高とは、ほぼ人口と考えてよいのですか。 戦国大名の兵力の動員力が石高に基づくという説があって、1万石につき 250人から300人ほどと言う数字があります。 石高、貫高で大体の兵力がわかるということなのでしょうか?

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.貫高制から石高制に移行したのは何故ですか? 貫高制とは、年貢をほぼ定額制の銭で払う制度です。しかし、この銭の多くは輸入品であり、それが滞って西日本から銭不足に陥り、貫高制でありながら、農産物で年貢を払うことが西から多くなっていきました。 貫高制の維持が不可能になりつつあったということです。 石高についてのよくある間違いとして、石高を米のみ、あるいは農産物のみ、という思い込みです。 実際は、商業利益も目算で石高に含めました。「この村の田は中程度の質だが、街道筋で商業発展が見込まれる。だから、上程度の田ということにしよう。石高を多く見積もろう。」というふうに。 なので、1万石は1万人の人口ではありません。人口研究の専門家の速水融先生は、江戸初期の細川藩が1万石あたり7000人という記録を発見しています。 兵力に関しては、石高に応じて「上から命じられる」のです。「1万石だから250人連れて来い」というふうにです。 なお、石高のごまかしも少なくなく、それも見越して1万石あたり500人も命じられることもあったそうな。