仏教の教えならひとは輪廻転生するはずなのに なんで墓とか作るんですか? インドみたいに火葬して遺灰を川に流せばいいだけなのでは? 墓なんか作っても無駄でしょ、たましいは転生するんだから。

宗教 | 葬儀116閲覧

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まず仏教や一部のヴェーダ聖典では、人が輪廻転生するのではなく、業が輪廻します。 古代インド思想では、魂(仏教でいうところの中陰・中有・乾闥婆)になると、その状態は香りを栄養源として、何日かの間生存します(これは部派仏教でも何日かは様々な説があります)。 そして、中有は、男女の結合の瞬間を見計らって、輪廻のサイクルに入ります。したがって、死者供養として、お香や食料(の匂い)というのはさほどおかしいことではないと思います。 この中有思想は、おそらく、インド土着の思想が取りこまれたのでしょう。 また、仏塔(墓)信仰も現れ始めます。これは仏陀信仰が膨らむと同時に、また様々なインド思想が混じり合って大乗仏教運動の一つとして現れたのではないかと推測されています。 もし仏陀が、輪廻転生から抜け出したことをもって解脱としたと仮定するならば、それをリスペクトすべき動きもでたのでしょう。 大乗になると、あらゆる衆生には仏性・如来蔵(仏になる性質を有している)があるという思想も生まれますから、そういったリスペクトもこめて、作られはじめたのではないでしょうか。

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墓は別にあっても良いんじゃないですかね…元々は仏教など関係なく、ただの生存者側の故人を忍ぶメモリアルだから。 多分、おっしゃりたいことはその墓を仏教的儀式や概念で寺が管理するのはおかしいんじゃないかという話したと思いますが、輪廻を肯定するなら、輪廻した故人に回向することは極めて仏教的で筋が通ってるし、そこに僧侶の助けを借りるのは自然な話しかと思います。 ヒンズー教でも上座部仏教でも、それらしい墓は無くとも故人を忍ぶ何かしらの形を持つ人は多いし、一周忌なりなんなり、キッチリ法事はありますしね。

一応、仏教における法事は輪廻した、又は輪廻の過程にある故人や先祖に回向し、悟りへとつながるより良い状態をえてほしいという生存者の思いの実現を取り仕切る儀式であり、あの世や黄泉の国に行ったさ迷える魂を供養するものではないんで。

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仏教を間違って理解したからですね。 なぜ間違ったのか。 仏教発祥のインドとは、文化、風習が違っていて、それをなかなか捨てられない、ということでしょう。 遠くインドから伝わる過程で、同様に途中の国々で変容した、ということもありますね。

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エル・カンターレによると、墓は霊と通信する時のアンテナの役割があるそうです。

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その通りです! 本来の仏教(というか、仏教の土台となるヒンドゥー教)の考え方は輪廻転生であり、死者が転生に差し支えない為に遺体を焼いて遺骨を河へ捨てる必要があります。 なのでインドには墓を建てる文化がありません。当然です。 ですが、日本では土着信仰の土葬と混合してしまい、遺骨を埋める『火土葬』という独特の文化になってしまいました。 更に日本では死者(先祖)は家を守る守護霊となる為に祈り続ける必要があります。 盆には墓へ魂を迎えに行かなければいけません。家には魂が宿るとされる位牌や仏壇があるのにも関わらずです! もう訳が分かりません。。 一応、日本の仏教では、葬式で色々とお金を払うと『人間道』から次の転生は『天道(いわゆる天国や極楽浄土)』に生まれ変わるとされ、そこから故人は人間界を見守っているそうです。 でも魂は墓や位牌にもあるそうです。 仏陀(釈迦)は悟りを開き、ヒンドゥーの六道輪廻のサイクルから抜け出した為「私は二度と生まれ変わらない」と宣言されてます。 なので、遺骨を捨てずに弟子で分け、仏舎利を建てます。 私が思うに仏陀は「そもそも生命は生まれ変わらない(魂など存在しない)」と気付いたのではないかと思っています。

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>仏陀(釈迦)は悟りを開き、ヒンドゥーの六道輪廻のサイクルから抜け出した為「私は二度と生まれ変わらない」と宣言されてます。 解脱ってやつですよねこれが >私が思うに仏陀は「そもそも生命は生まれ変わらない(魂など存在しない)」と気付いたのではないかと思っています。   輪廻の否定ですか