古代からの中国の国家はなぜほとんど朝鮮半島や日本の国家を攻めなかったのですか? 歴史に興味があったので質問しました。

中国史 | 世界史132閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん回答ありがとうございました。

お礼日時:7/18 23:49

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朝鮮半島には割と頻繁に攻め込んでたと思いますよ。 統一王朝に限らず前燕とか地方王朝も攻めてましたし。

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朝鮮半島に関しては、中国の歴代王朝はたびたび手を伸ばしている。 例えば前漢の武帝は、衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島の北部から西部に至る地域を支配下に置き、楽浪郡を設置したとされる(楽浪郡の中心は現在の平壌辺り)。 後漢の末期になると、群雄の一人であった公孫康が楽浪郡に勢力を広げ、新たに帯方郡を置いた。その公孫氏は魏によって滅ぼされ、帯方郡も魏に接収された。その魏は晋によって乗っ取られたので、晋もまた帯方郡を通じて朝鮮半島北部を支配下に置いていた。 後漢末期から数百年に渡って続いた戦乱時代を制して西晋以来の天下統一を達成した隋は、煬帝の時代に高句麗遠征を開始した。高句麗は現在の中国東北部から朝鮮半島北部に勢力を持った大国である。 隋を継いだ唐も、太宗(李世民)や高宗の時代に高句麗遠征を繰り返して、遂にこれを滅ぼした。高句麗滅亡後には新羅と同盟して百済を圧迫し、百済と手を結んだ倭国(後の日本。当時の倭国の指導者は中大兄皇子=天智天皇)とも戦っている(白村江の戦い)。 時代はくだって元(蒙古、モンゴル帝国)の時代になると、元軍は朝鮮半島に侵入して、当時半島を支配していた高麗を屈服させている。さらに元は日本侵攻を画策し、従属させた高麗軍を主力とした遠征軍を2度にわたって日本に送り込んだ(文永・弘安の役。いわゆる元寇)。 その元が衰退し、紅巾の乱が起こると、紅巾軍(紅巾の形式的指導者・韓林児を皇帝とする宋の事)の一部は朝鮮半島に侵攻して高麗と戦った。 その後の高麗では親元派と反元派が争うようになり、反元派(親明派)の李成桂が勝利した。李成桂は国を乗っ取って李氏朝鮮を建てた。 明の末期に中国東北部(満州)で勃興した後金(後の清)は、2代目皇帝ホンタイジの時に朝鮮半島に侵攻し、李氏朝鮮を屈服させる事に成功した。さらに後金は3代目の順治帝の時に国号を清と改め、李自成の順を滅ぼして中国大陸を支配下に置いた。 李氏朝鮮は引き続き清に従属し、明治維新後の日本が朝鮮半島に勢力を拡大するようになると、清に助けを求めた。清の重臣であった李鴻章は自らの私設軍隊である淮軍を中核とする清軍を朝鮮半島に送り込んで日本軍と戦うも敗れた(日清戦争)。 以上のように中国の歴代王朝は、たびたび朝鮮半島や日本に手を出している。日本は海という壁があった為に屈服させる事は叶わなかったが、朝鮮半島は直接・間接を問わずほとんどの歴代王朝が影響下に置いていた。また朝鮮が逆らえば武力によって制裁を加える王朝や勢力も多かった(元=蒙古や紅巾軍=宋、後金=清など)。

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直接支配するメリットが無いから。別に脅威でも無いし。

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