世界史Bの質問です。

世界史 | 宿題68閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

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ややこしいのでコーヒーと牛乳で例えて説明します。 ネストリウス「コップにコーヒーが入っておりそこに牛乳を注いだ」 非カルケドン派「コップの中でコーヒーと牛乳は分離している」 カルケドン派「コップの中にコーヒーと牛乳が入っている」 単性論派「コップの中でコーヒーと牛乳牛が混ざり合っている」

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「正統」アタナシウス派の根本教義である「三位一体論」をまず確認しておきましょう。そうすれば、「異端」とされた各派がアタナシウス派とどう違うかが明確になると思います。アタナシウス派の核心は「同一本質」です。つまり、「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」はそれぞれ現れ方は異なるけれど、本質的には「一つ」の存在であるという考え方です。なぜこのようなことを考えなければいけなくなったのかというと、「イエスが「父なる神」とは別の神なら、神の唯一性という原則が崩れてしまう」という問題が発生したからです。 さて、ニケーア公会議(325)で「異端」とされたのはアリウス派でした。アリウス派は、イエスを神に最も近い被造物とみなすことによって「父なる神」と区別し、イエスの神性を否定しました。 世界史の教科書には登場しませんが、実は381年にコンスタンティノープル公会議というのが開かれています。この公会議で「聖霊」にも神性が認められ、「三位一体論」が確立しました。 エフェソス公会議(431)の争点はズバリ「マリア崇拝」に関してです。ネストリウス派は、イエスの人性と神性を完全に分離します。そして、マリアは「人間」としてのイエスの母に過ぎないとして、マリア崇拝を退けました。アタナシウス派では、イエスの人性と神性は共存していますので、ネストリウス派とは相いれませんでした。 キリスト単性論は、カルケドン公会議(451)で「異端」とされました。単性論は、復活したキリストにあっては、人性はもはや神性に吸収されたので、“キリストにおいては”神性しかないと考えます。アタナシウス派は、キリストにおいても人性と神性が共存しているという「両性論」の立場をとります。だから単性論は「異端」とされました。 ちなみに単性論はその後、エジプトのコプト教会、エチオピア教会、さらにはシリアやアルメニアに定着しました。