プロテスタントは 聖書は神からのメッセージである としているようですが カトリックや正教会は違うのでしょうか。

補足

カトリックの教えによれば、 これらの共同体は叙階の秘跡による使徒的継承を持たず、 それゆえ教会を教会たらしめる本質的な要素を欠いています。 特に司祭職の秘跡を欠くことにより、 聖体の秘義の本来の完全な本体を保持していません。 これらの教会共同体を、カトリックの教えによれば、 固有の意味で「教会」と呼ぶことはできません。 (教皇庁文書2007/6/29カトリック中央協議会)

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ベストアンサー

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カトリックは、 ちゃんとした秘跡が無いプロテスタントは キリスト教の教会じゃない みたいに言ってますが、 セレモニーの方が教義(教え)よりも重要なのでしょうか。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん有難うございました。

お礼日時:7/26 19:44

その他の回答(3件)

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聖書特に旧約聖書は当時信仰していた人たちが後世に伝えるべきものとして記してきたというのがカトリック。それを神からのメッセージで遵守すべき絶対的なものとしているのがプロテスタント。個人的な考えですが・・

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逆ですよ。逆。 聖書は聖霊、つまり神からのものである。とした書物。そうしたのは、カトリックや正教会が分裂する前の初代教会。カトリック教会と正教会は、これを引き継ぐ使徒継承の教会。 プロテスタントの一部が誤解しているんだけど、使徒継承の教会の「聖伝」とは、新約聖書の大本となったものですよ。だから、これと新約聖書は互いに補完し合う。 新約聖書が完成する前、多くの福音書や書簡、行伝があったが、現在の新約聖書に収録されている文書がどうやって選ばれたか、というと、使徒継承の聖伝と内容が一致しているものを選んだということも、プロテスタントは分かっていない人たちが多い。 だいたい、パウロがテモテ第2の手紙で「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」としているのは、旧約聖書でしかもこれはギリシャ語の七十人訳聖書のことです。新約聖書に収録されている文書を聖霊によって書かれたもの、としたのは、初代教会の教父らですよ。それこそ、聖伝を預かってきた人たち。この部分もプロテスタントの一部は、勘違いしてしまっている。 聖伝と聖書は切り離せない。プロテスタント諸派は、これを切り離してしまったから、訳のわからない教義となっていくんじゃなかろうか。と個人的に思ったりします。

なんか、感情的になっていらっしゃるプロテスタントさんがいらっしゃるようですが。。。私は教会史、聖書成立の過程でお話を述べているだけで。。。ちなみにエイレナイオス、テルトリアヌスって教父、御存じでしょうか。この名前を御存じなら、補足のようなお話は出てこないんですがね。ってことで。 それにさあ。スレ主さんよ。回答者を煽るのは止しなよ。どこかのプロてスタントさん、青筋建てて怒ってるじゃないか。

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「神からのメッセージの一部」であり(ヨハネ伝には、イエスの教えは書物に書ききれないとある)「イエスと使徒につながる教会の導きがなければ正しく解釈できない」と考えています。だからプロテスタントは間違っていると。