曹操が荊州に南下したとき劉備は江陵へ逃げようとしたがその矢先に城の民が同行を劉備に懇願しましたよね。あの時の民は劉備にとっては束縛なのでしょうか?それとも劉備が貫いてきた信念の証なのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。

お礼日時:7/27 16:30

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劉備は計算高い。こうすることで自分は襲われないよう、曹操側もあまり酷いことしないという考えで防波堤にしたのかも。

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私は、計算だと思います。 民といっても、農民が自主的にそんな判断をするとは思えません。 おそらく、劉琮陣営の中で、曹操に降伏するのを嫌った面々(向朗とか伊籍とか)と彼らが抱えている私民が中心だったんじゃないかと思います。 彼らが劉琮にはついていけないから劉備についていきたい、と言ったのを、劉備としては、見捨てるにはしのびない、と、まあ、そう言ったんだと思います。 劉備にしたら、曹操のターゲットが自分なのはわかってるので、領民と一緒に行動すれば、領民が戦禍に巻き込まれるのはわかりきってます。 そこがまあ狙いで、そうやって曹操軍の被害にあえば、伊籍たちの立場もはっきりする、もう曹操に降伏はできなくなるので自分についてくるしかなくなる、というような計算があったんじゃないかと。 なので、曹操軍に襲われてしまえば、さっさと逃げてOKというわけです。 もっとも、劉備の家族も被害にあってるので、自分だけ無傷、というわけではありません。 劉備に従った面々にも運命共同体ということを印象付けたと思います。

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大事を済げるには必ず人を根本とするものだ 今、人々が私に帰しているのに、棄て去る事を忍べようか! 先主伝にて劉備自身がこう言っています この後すぐに、置き去りにして逃げましたけども

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