僧兵について質問です。なぜ殺生を禁じる戒があるのに、延暦寺や興福寺は僧兵を抱えていたのでしょうか。

日本史 | 宗教92閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答ありがとうございます。不殺生という戒も弱肉強食の現実の前に換骨奪胎されていったのですね。よくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:7/30 10:48

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北条氏が関東を攻めた時のこと。 足利の長尾顕長は北条氏邦軍の前に風前のともし火。かつて足利源氏の本拠地だった「鑁阿寺」は寺領が荒らされないように事前に氏邦の「禁制(手出ししないという朱印状)」の発給を求め、氏邦は「軍勢を送って保護する」と約束しました(当然交渉で銭を送ってる)。 ところが、事情を知らない一部の兵が寺内で狼藉を働いてしまう。 鑁阿寺は氏邦と氏照に訴えた。すぐ氏照の使いが対応し禁令札を立てたが、氏邦の部下は言った。 「すまんな。しかし、僧兵が一人も本堂を守っていなかったのも悪い。今後はちゃんと自力で守れ」 信じられるのは自分だけ。寺も自力で守らねば生き延びられませんでした。

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寺社は「荘園」という領地を持っており、 これを守るためにも、僧兵は必要でした(^^)/ また、朝廷に文句がある場合も「強訴」といって 僧兵を送り込み、要求を認めさせていました(^^) この時代、何もかもが「実力行使」でしたので、 僧兵は各寺院にとって欠かせない 「貴重な兵力」だったと言えるでしょうね(^^)

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鎌倉時代以降は動乱の時代で 応仁の乱では京都の街が燃やされましたし 警察である大名が略奪を行うなど無法地帯と化し そのまま戦国時代に突入しました 延暦寺も自衛するために僧兵を持っていましたが 織田信長が攻めてきて全滅させられました そのときの生き残りに天海がおり 江戸時代になってから徳川家康の側近になって 江戸幕府の政策に深く関与しました