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2021/7/30 7:04

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江戸期の領主と封地(領地)に関して

日本史 | 一般教養193閲覧

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2021/7/31 4:36

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質問者2021/8/1 8:49

他の回答者から丁寧なコメントを続けていただいていたので、解決するかと思ったのですが、質問へのピンポイントで納得するようなコメントはいただけませんでした。 結局は、回答者様のおっしゃるように、知恵袋では適切な回答が得られないのかなあ~と思っています。 >近世史を専門とする大学の教員の指導を受けて、先行研究や一次資料を丹念に調べないと、実像がわからないかもしれません。 そのような気がしてきました。ネットだけでのリサーチでは限界があるようです。

その他の回答(2件)

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旗本知行地は分散知行と言ってあちこちに所領が分散している例があります。旗本岡野家1500石の場合千石近くの所領は現在の相模原市にあって淵野辺村に陣屋を置いたといい摂津の国御願塚村(現在の兵庫県伊丹市)500石の所領は土地の有力者山田氏を代官に取立て支配しました。勝海舟の父小吉がここに岡野氏の為に金策に来たのは有名な話です。問題は残る100石ほどの領地が近江の国にあったということです。これについての調査はしておりませんがそれに近い規模の領地の旗本の支配に関心を持ったことがあります。但馬に200石の領地を持った旗本杉原氏です。各村庄屋の上に年番庄屋を置き統括させます。警察力などなく簡単な案件なら沙汰を下しますが難しい案件となれば事実上お手上げなのですが江戸の杉原家に伺いをたて地元の幕府領代官に裁きを依頼したのではないかと思っています。旗本領から幕府領代官への往来文書が現存しますので、、。 関東では複雑に旗本領が入り組んでおり警察力を行使することが難しいので幕府領代官配下の手代、手付きが関八州取締出役に任じられ各領地関係無く取締に当たり八州様と呼ばれ恐れられました。案件は所属の代官の元に送られ重大案件は更に上司の公事方(訴訟担当)の勘定奉行に送られました。十分な回答とならず申し訳ありません。浅学な者の管見とお思いください。

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質問者2021/7/31 7:43

幕府領との絡みならば、代官との交渉となるでしょうし、飛領の規模が百石を上回るようでしたら、地元の庄屋の力を借りることも可能ですが、関東ではなくて、地方で、他の領主との絡みがあるようなケースでは如何でしょうか? 近隣の村落が地元の領主の所領で、その中に一ヶ村だけ、或いは村の中の数ヶ戸だけ飛領の場合に、村内の揉め事、隣接する村とのトラブル、或いは入会地を巡っての案件に関しては、領主間での争いとなるのでしょうか?

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こちらでは、約25km離れた飛領がありました。そこを監視する役人を配置していました。この役人のお宅は明治になっても飛領に居住し、今に至りますが、墓地は本領にあるので、墓参が大変だと言ってました。 それからこの飛領には寺があり、この寺が事務や教育などの部分を担っておりました。

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質問者2021/7/30 7:30

>そこを監視する役人を配置していました。 ある程度飛領の規模が大きい場合は役人を配置するようですが、飛領の規模が小さい場合、年貢などは名主や庄屋が担う村請制度があったようです。 ただ村内の数ヶ戸だけが飛領の場合に、村全体の名主や庄屋は異なる領主となり、飛領ではない領主が配置した役員がいても、飛領の数ヶ戸に対して、治める権利はないのでは?村のもめ事や犯罪に関して、どのように対処していたのでしょうか? よろしくお願いします。