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第二次世界大戦下で、玉砕覚悟や、バンザイ突撃のように、命を投げ出してまで戦う軍隊は、日本軍以外にあったのでしょうか??あるないに関わらず、参考文献や記事も教えて下さると嬉しいです。

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回答(11件)

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中国がやってきた戦争は そんなの多いですよ。毛沢東の考えは向こうに10万発玉があるなら20万人兵士を送り込めば 10万人は玉に当たって死んでも 残り10万人はいるから こちらの勝利という考え方です。 敵へ攻め入る時 後ろに兵隊を並ばせて どんどん前へ突進する 兵隊は後ろへ 戻る事は許されず 前へ進み 相手に球を打ち込むか 相手の球に当たって死んでくるか 選択はその2つのみ 後ろに戻って下がったら 見方から打たれる そういう戦術です。仲間の死体を踏んずけながらも 前へ進めという考えです。

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ソ連軍。 映画「スターリングラード」の冒頭に武器ももたずにドイツ軍陣地に突撃する描写があります。 また前線の部隊に派遣されていた政治局員は軍事の素人にも関わらずしばし無理めの突撃を行わせたことで有名です。 中国軍・北朝鮮軍 朝鮮戦争でしばし人海戦術を行い、膨大な人的損害を受けています。

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平成二十四年六月十九日付き『朝日新聞』「声」欄より引用する。 熊本県 黒木新二郎 (執筆時)91歳 無職 『私が乗った重巡洋艦足柄は昭和十九年十二月二十六日、レイテ沖海戦後も残っていた南西方面艦隊の七隻と、フィリピン・ミンドロ島サンホセの米艦隊泊地に夜間決死の強襲をかけた。想定通り、敵機多数の反復攻撃を受け、激しい対空戦が繰り広げられた。混戦の中、被弾した敵の一機が足柄の左舷中央に突っ込み、激しい火災が起きた。この戦闘で数十人の死者を出した。 翌日、戦死者の水葬が行われた。水葬の儀式は、遺体を軍艦旗もしくは毛布に包み、浮上防止の重しをつけて、舷外に設けられた滑り板から海に沈めるのが習いだった。その日夕、一人ごとに氏名・階級を声高く呼び上げ、儀仗隊が弔銃を発射、ラッパ隊が葬送曲「海ゆかば」を吹奏し、乗組員全員が挙手の敬礼をする中、荘厳に行われた。自分も最期が来たらこうしてほしい、と願ったものだ。 その水葬の最後の一人が、艦に飛び込んだ敵機のパイロットであった。氏名などむろん不詳。黒こげの上半身だけになっていた。だが、彼の祖国にとっては忠勇の軍人である。既に敗戦の色濃い状況であったが、足柄では確かに同胞の戦死者と同様、敵兵を丁重に弔ったのである。』 元日本兵による、次の様な証言も有る。 平成二十七年八月十八日付き『読売新聞』より引用する。 竹花巧 (執筆時)95歳 無職 『陸軍では「外国人は士気、精神性は日本人より劣る」という教育を受けた。だが、英軍の抵抗は激しかった。ある日、朝から夕方まで続いた戦闘の終結後に「ボーン、ボーン」という大きな音が聞こえた。負傷し逃げ遅れた英兵が手榴弾で自決した音だった。アングロサクソンも骨太というか、たいした民族なのだと思った。』 「昭和の遺言 十五年戦争 」仙田実著 『日中戦争は、国内ではわきかえるような雰囲気ではじまった。岡山の歩兵第一○連隊も動員され、猛将赤柴八重蔵大佐に率いられて大陸へ渡った。当時「鬼の赤柴部隊」の異名をとったが、現役兵のほか、予備役となっていた満州事変の実戦経験者をおおぜい招集して編成したので、日本陸軍中の最精鋭とうたわれるだけの理由はあった。 赤柴部隊は、昭和十二年の開戦と同時に出動した。同年八月に神戸を出港し、華北の渤海(ぼーはい)湾の大沽(たーくー)に上陸した。 赤柴部隊は大沽(たーくー)から津浦(ちんぷー)線に向けて西進したが、その年は六○年ぶりの大雨で、洪水とぬかるみが続き、一日四キロほどしか進めない、一○日目にしてようやく天津(てぃえんちん)にたどりつき、津浦(ちんぷー)線に沿って南下したが、中国軍は黄河(ほあんほー)をはじめあらゆる川の土手を切って、広野全面水浸しの妨害作戦に出た。 そのため日本軍は、鉄道の線路や川の堤の上を、一列になって進む以外に方法がなかった。 昼は休み、夜間に行軍したが、集中射撃をあびて大勢の死傷者が出た。 静海県(じんはいしぃぇん)の遭遇戦では、次の様な戦闘が展開した。 見渡す限り高粱の畑が続き、これが弾丸でなぎ倒され、立っていては撃たれてしまう。 昼間は水浸しの畑の中に屈み、首だけ水面に出して夜を待つ。夜の間だけ行軍して、次第に静海県(じんはいしぃぇん)城に近づく。これが七日間続いた。もちろん衣服は泥水に濡れたままである。 ついに突撃決死隊が指名され、夜明けを期して銃剣をかざして城内におどりこむ。もし相手が逃げなければ、白兵戦となる。中国兵にも決死隊がいたらしく、両足に鉄の鎖を巻きつけていて動かず、攻めてくる日本軍を最後まで撃ちまくり、突っ込んだ日本兵の銃剣にかかって死ぬというありさまであった。』

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日本軍のように作戦としてやったところは私は知りませんね。 ドイツやソ連は部分的にBANZAI突撃のようなものをしていたそうですが・・・

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組織的に行われたのは日本軍です。 捕虜になる事は恥だと教え込まれ、洗脳されていましたからね。 他国の場合は、その時の状況で個人が自身で判断し実行されたものと思われます。 外国の軍隊では、その様な事は組織的にはあり得ないことです。