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北海道アイヌだけ、周辺のアジア民族と「風貌」「体毛」が明らかに異なるという、見た目の特徴がありますが、 世界的に見て「北海道アイヌ」と同じ、又は近い遺伝子を持った民族は確認されていますか?

補足

縄文人の話はよく分かったので 「アイヌ」民族の形態的特異性のことを知りたいんですが・・・ アイヌの事、良く知らないので、 わざと話をずらしてるんでしょうか?

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回答(6件)

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日本人(大和民族)は、「縄文人」と「北京周辺に居住する中国人の祖先に近い系統(渡来系弥生人)(←漢族という意味ではない)」との混血民族です。 ↓こちらをご覧ください【NHK】 ↓日本人のルーツ発見!”核DNA”が解き明かす縄文人 (サイエンスZERO) https://www.youtube.com/watch?v=Lr9FM3DQ3A0 ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日)」 https://news.mynavi.jp/article/20160901-a074/ ↑三貫地縄文人のゲノム塩基配列を現代人のゲノムデータと主成分分析法*を用いて比較したところ、大きくアフリカ人、西ユーラシア人、東ユーラシア人にわかれるなかで、三貫地縄文人は東ユーラシア人にもっとも近く位置しました。そこで、三貫地縄文人と東ユーラシア人だけで比較したところ、図1のようになりました。ヤマト人(東京周辺に居住している日本人)が三貫地縄文人と北京周辺の中国人にはさまれた位置にあり、ヤマト人はこれら2集団のあいだの混血であることが示唆されます。 ↓日本人(大和民族)は、「縄文人」と「北京周辺に居住する中国人の祖先に近い系統(渡来系弥生人)(←漢族という意味ではない)」との混血民族。

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言葉だけで説明してみましょう。 縄文人とアイヌはほぼ同じです。縄文人はどんな感じかというと古代中央アジア人で現在のウイグル人に近い感じです。そこに東北アジア人の血が混ざったものがアイヌです。 ローランの美女と呼ばれるミイラがあります。古代ウイグル人の女性ですが見た目はアジア人ではありません。古代中央アジア人はコーカソイドとモンゴロイドが分岐し立ての頃の遺伝子を色濃く残しています。現代でもウイグル人の半数以上の遺伝子はコーカソイドのもので,古代中央アジア人の特徴を残しています。 全く同じで縄文人も東アジア人ではなくむしろコーカソイド型アジア人で,もはやどこにも存在しない民族です。

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↓常識的に知っていると思っていました。日本人で知らないものはいないと私は思っていました。 「縄文人」≒「アイヌ民族」 ↓読売新聞(2017年12月15日) http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html ↑現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授)。 ↑アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授)。 ↓「ナショナルジオグラフィック日本版サイト(National Geographic)」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/101600254/ ↓「ナショナルジオグラフィック日本版サイト」よりアイヌ女性 .

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「縄文人」≒「アイヌ民族(縄文人ゲノム約50%以上)」ですが、現在のアイヌ民族は、多くが「日本人(大和民族)」の血が入っていて、純粋に近いアイヌ民族はあまりおらず、見かけ(テレビ等)は「日本人」に似ている人が多いようです。たまには、以下のような人がいるようです。 ↓アイヌ民族の人です(50%でもこんな容姿)。

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「縄文人」は、東アジア地域では、かなり「特殊」な人類集団のようです。 ↓金沢大学(2018年07月25日) ↓最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明 https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/58540 ↑縄文人骨1個体の全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8~2千年前の東南アジア人など80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施した結果,現在のラオスに約8千年前にいた狩猟採集民の古人骨と日本列島にいた約2千500年前の一人の女性のゲノムがよく似ていることが分かりました。 金沢大学プレスリリース 2018年07月09日 ↓最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明(金沢大学プレスリリース 2018年07月09日) https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf ↑グループ 1 は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスの Pha Faen 遺跡(約 8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアの Gua Cha 遺跡(約 4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また,このグループ 1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。さらに,伊川津縄文人ゲノムは,現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↑↓「縄文人」は、「南アメリカ先住民」よりも前に分岐しており、これだと「縄文人」は「東アジア人」ではないということになります。

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「縄文人」とされる人骨から抽出したDNAの塩基配列を詳しく解析したところ、アフリカからアジア東部に到達したホモ・サピエンスの集団の中でも最古級の系統に属することがわかった。 ↓金沢大学(2018年07月25日) ↓最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明 https://www.kanazawa-u.ac.jp/rd/58540 金沢大学プレスリリース 2018年07月09日 ↓最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明(金沢大学プレスリリース 2018年07月09日) https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf ↓こちらをご覧ください【NHK】 ↓日本人のルーツ発見!”核DNA”が解き明かす縄文人 (サイエンスZERO) https://www.youtube.com/watch?v=Lr9FM3DQ3A0 朝日新聞デジタル 2020年12月10日 11時00分 https://www.asahi.com/articles/ASND963DZNBZULBJ012.html 2020/12/10 23:49 https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/n2bc427adacfd ↑愛知県田原市の遺跡で見つかった「縄文人」とされる人骨から抽出したDNAの塩基配列を詳しく解析したところ、アフリカからアジア東部に到達したホモ・サピエンスの集団の中でも最古級の系統に属することがわかったと、金沢大や東京大のグループが報告した。日本列島人の成り立ちを探るための新たな手がかりとして注目される。 DNAを調べたのは、伊川津(いかわづ)貝塚遺跡から出た人骨(約2500年前)。年代的には、約3千年前から始まるとされる弥生時代にあたるが、縄文晩期の土器が発掘されており、グループは「縄文人」とみなしている。 アフリカで約20万年前に誕生したホモ・サピエンスは、4万~5万年前にアジア東部へ到達し、日本列島には3万5千年前ごろにやってきた。この時期の人類の遺物はヒマラヤ山脈の北側でも南側でも見つかっており、どのルートを通って日本列島に達したかははっきりしていない。 ↑グループは、伊川津人骨のDNA情報をアジア東部のさまざまな人類集団や古人骨と比較し、その関係を示す系統樹を描いた。すると、現代の東アジア人などよりも、ヒマラヤの南側を通った集団の指標となるラオスの遺跡の人骨(約8千年前)に近く、ホモ・サピエンスがアジア東部や日本列島に到達した時期に近い4万~2万6千年前に分岐したと考えられた。国立科学博物館などが昨年DNA配列を公表した、北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人骨(約3800年前)とも近い関係にあった。 一方、北側を通った集団の指標となるロシア・シベリアのマルタ人骨(約2万5千年前)は、伊川津人骨や現代の東アジア人などとは遠い関係だった。ロシア極東地方の北東アジア人やベーリング海峡を渡ったアメリカ先住民にはマルタ人骨からの遺伝的な影響が認められたが、伊川津人骨では認められなかった。 ↑グループの覚張(がくはり)隆史・金沢大助教は「伊川津の縄文人は、非常に古い時代に南側ルートでアジア東部へ入ってきた人類集団の直接の子孫にあたる。その形成には、北側ルートを通った集団の影響を受けなかった可能性が高い」と話す。 伊川津人骨の祖先となった人々が、初めて日本列島へやって来たのがいつだったかは、まだよく分からない。また今回の1個体の検討結果だけで、北側ルートの遺伝的影響を完全に否定できるものではない。 このためグループは、伊川津貝塚遺跡から出た他の人骨や、千葉県の遺跡から出た人骨などのゲノム解読に着手している。科博のグループも、北海道や東北などで見つかった古人骨の分析を別途進めている。 ↑日本列島に初めて定着した人類集団の姿を明らかにすることは、日本人の形成過程を探る上で欠かせない。太田博樹・東大教授は「伊川津人骨の分析から、アジア東部で他の人類集団と交ざることなく、1万5千~1万2千年間くらい孤立していた縄文人のイメージが浮かんできた。これが妥当かどうかは、より多くの縄文人のゲノムを調べ、その違いを見ることで分かってくる」と研究の進展に期待を込める。

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