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2021/10/7 8:10

33回答

道を学する人、夕には朝あら(む)ことを思ひ、朝には夕あら(む)ことを思ひて、重ねてねんごろに修せ(む)ことを期す。

文学、古典119閲覧

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ベストアンサー

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プッw 「読むだけ無駄だから読んだことない」」はずの人が、 ご丁寧に最初から最後までご精読のうえ反論ですかw やっぱり、「読んだこともない」は負け惜しみだったんですね。 それなら「読んだこともない」なんて強がりを言わなければいいのに。 >連体形「む」で「意志」等はあり得ません 根拠が示されていません。この人のお家芸「我執」です。 私は、「多くの辞書、文法書が、「主として」連体形の用法、婉曲過程である場合が「多い」と説明している」という根拠を上げました。

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婉曲が正しい 連体形になると、「翌朝も生きていよう【と思うような】」「修行しよう【と思うような】」と、意志なら意志の意味が間接的な表現になってしまいます それを婉曲、つまり直線的でない丸めた柔らかい表現、というのです 辞書にもそのように書いてあります 意志・推量・適当・勧誘はすべて「む」が文末に置かれた時の意味です む 助動詞四段型 《接続》活用語の未然形に付く。 ③〔仮定・婉曲(えんきよく)〕…としたら、その…。…のような。 ▽主として連体形の用法。

あ・り 【有り・在り】[一]自動詞ラ行変格活用{語幹〈あ〉} ②生きている。無事でいる。 上の回答者も下も「徒然草」の解釈も誤り、「む」の解釈も誤り 連体形「む」で「意志」等はあり得ません また、「夕あらんことを期し」は「『夕方も自分は無事生きているだろうから修業は夕方でいいや』という甘い認識はダメですよ」と筆者は無常観的認識のもとに書いています 「朝があれば夕があり、夜が明ければ朝はまた来る」などという事を書いてはいません こういう基本的な解釈を改めて書いてカテマスの回答を訂正しなきゃならないとは情けないけど、これも知恵袋の現実です 以上

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いづれも誤りにあらず。 「君は挨拶すべきだ」といふ現代語とて、この「べき」の意味が、「命令」「適当」「義務」のいづれがベストなりや、論理的に解答を決すること能はず。かかる文法用語は後付けのレッテルに過ぎぬものなれば、さまで拘泥する必要はあるまじ。真に大切なるは、レッテルにあらず、原文それ自体なり。 されど個人的には、最初2つの「む」は婉曲、最後の「む」は意志と解するが適切と思へり。朝と夕のあることは自然の摂理にて自明なれば、敢へて推量する必要はあらず。されば推量は不適切なり。また自然の摂理は人間の意志にあらず。よりて意志も不適切なり。消去法にて、婉曲が妥当ならむ。されど最後の「む」については、修行せむと欲する主体は人間なれば、意志が適切なるべし。

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おお、フールのふーちゃん殿、I&M.d.W殿の御二方も、この議論に参戦しつるよ。いと面白し。 「連体形の場合は【主として】婉曲となる」といふ文法知識は、我も知れり。されどその知識を、我は敢へて紹介せざりき。例外はあまたありなむ、原文に即して考ふるこそ大切なれと思へばなり。 I&M.d.W殿は、以前「いとよう似奉れる【が】、まもらるるなりけり(源氏物語・若紫)」といふ一文中の【が】を、接続助詞と断言して憚ること無かりき(笑)。むろんこれは誤りなり。正しくは格助詞なり。 人間誰しも誤ることあり。自分の誤りを認むるは、決して恥にあらず。I&M.d.W殿、この点、つらつら考慮せられよ。