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秋篠宮さまが、 昭和天皇の喪中にもかかわらず 紀子さまと婚約されたという記事を見ましたが 急がれていた理由は何だったのですか? 亡くなられて、何日後ぐらいの

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回答(5件)

親子で呆れますね。 秋篠宮家設立から今に至るまでの税金を返してほしいです。

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昭和天皇の崩御が1989年1月、 会見が1989年9月なので、 喪中に婚約を発表する会見をしました。 納采の儀が1990年1月だから喪中ではないと 言う方もいますが、 昭和天皇が崩御された年に、 頭に黒いリボンつけて、ニタニタ笑って会見して非常識だと批判もありました。 紀子さんは(親も含め)、礼宮様と交際スタート時から、懇意にしていた朝日新聞の記者に、自ら交際内容をリークして、皇室入りを狙っていました。 ただ昭和天皇には、例え妾であってもダメと結婚を反対されていたので、 昭和天皇がお隠れになるやいなや、世間に婚約を発表したのでしょう。

昭和天皇の喪が明けた翌1990年1月6月に納采の儀,6月にご結婚です。 眞子様誕生は、1991年10月23日誕生 なので、ご結婚以前に懐妊していた事実は、ありませんよ。 喪が明けてからの納采の儀なので問題ありません。

要するに、喪中よりも肉欲、性欲と当時はお見受け致しました。 本来はこの時点で皇籍離脱すべきだったのでしょうね。 英王室のような海賊王の家系ではなく、日本は祭祀王の家系ですから。 あまり、ナマグサはよろしくないと思います。

一説には婚約前の紀子様を懐妊&堕胎させて「どう責任取ってくれるんだ!」と紀子様の父君を激怒させたらしいので、ビビりながら急遽婚姻の運びになったそうです。 今でも秋篠宮は父君を恐れているとか。