「島津義弘」はどれくらい強かったのですか?

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①特攻力、攻撃力。 一の太刀有り、二の太刀無し。 迅速な太刀を島津軍は訓練していた。 空手の極意、先手必勝、一撃必殺は、薩摩示現流から来ており、警視庁の必殺技の教本に伝承されている。 ②猛特訓。 伊集院五郎元帥男爵が発明した伊集院信管が有名だが、彼の猛特訓により「月月火水木金金」という軍歌が作られた。 ③鉄砲(火縄銃) 日本最初に鉄砲が島津の筆頭家老、伊集院忠朗により使用された。 1549年、伊集院忠朗が「加治木城攻め」で使用した。 伊集院忠朗は「釣りの伏せ」を発案した。 ④統率力。 島津義弘は弱者、足軽、百姓、えたひにんを平等に愛した。 朝鮮の役、戦場から妻に100通のラブレターを贈った。 こんな人格者に命を捧げたい♪という島津義弘への愛情が命知らずの危ない島津兵士と化した。 ⑤黒豚、黒牛。 薩摩隼人は肉を食べていた。

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島津も釣りの伏せは強いです、色々な変形技があるようです。 退却戦の捨てがまり戦法は単体一武将はできても全体では普通の家臣では中々できません。 やはり兵と一緒に寝起きして戦事食事も一緒に取って我が殿と言う気持ちが強かったのかもしれません。 朝鮮出兵で他の所では凍死が多発してるのに島津の所では凍死者は出なかった様です、一緒にあったまり兵を気にかけてました。

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島津義弘は三人兄弟でしたが、家長義久の言いつけを守り軍事面では 最強で、朝鮮出兵では数倍の明軍を蹴徒らして名を馳せました。 島津の戦術といえば、身を捨てて敵を防ぐ「捨てがまり」が有名で関 ケ原の撤退戦の際には、多くの将兵が分散して井伊勢から義久を援護 して当主の井伊直正に重症を負わせたほどです。 島津家は戦国最強、勇猛果敢、死を恐れぬ家臣に溢れ徳川家康も西軍 の中で唯一家禄を安堵したほどでした。今でも鹿児島県人は酒が強く 喧嘩も最強ですね。 アタシは熊本の女よww

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