日本海軍の友鶴事件の記載を見ると実際の要因は復原性が低い船に対する艦長の操作ミスが主要因なのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございす。 艇長も転覆の許容値が少ないと認識してから嵐の中での操船をすべきでした。

お礼日時:10/28 0:34

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工業整備全般に言えることですが、これらに求められるものとしては「性能」も重要になりますが、他には滅多なことでは壊れない「信頼性」というものがあります。 特に兵器についてはこの「信頼性」が重要です。 いざ戦闘となったときに故障が多発したり急に舵を切ると転覆するぞといった運用上の制限が課されるようなモノは欠陥品であると言わざるを得ません。 まして試験段階でその「欠陥」に気がついていたわけですから責任の第一は設計者と、それを承知で就役させた軍の上層部にあります。 しかしフネの責任者たる艦(艇)長は、自分が指揮する艦艇の性能を知り尽くし、その能力を遺憾なく発揮できるよう努めなければならず、転覆の危険を孕んでいる事を承知しているのであればもっと細心の注意を払い操艦すべきであったと考えます。

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そりゃ屁理屈のような話ですね。 「追い波に対して保持すべき進路を誤っていなかったら」転覆しなかったのかもしれません。 でも、水雷艇は敵と戦う事が目的の船です。攻撃かけるのに波が向かいか追い波か考えてポジションを決めるなんて有り得ません。そして、いよいよ雷撃しようとする時に転覆の危険があるから進路そのまま、なんて出来ません。 友鶴は公試時にも急速に転舵すると傾斜が中々もとに戻らずヒヤヒヤした、という話が残されています。 600トンにみたない小型の船形に駆逐艦に近い重武装を求めた海軍と、それを拒まなかった艦政本部の責任でしょう。 それでも、幸いなのは友鶴の転覆と翌年の第四艦隊事件を教訓とし、復元性と船の強度に徹底した対策を取った日本海軍の艦艇は第二次大戦中、悪天候による沈没を1隻も出さなかった事です。 フィリピン攻略中の1944年12月。台風コブラに襲われたアメリカ艦隊は駆逐艦3隻沈没、空母、戦艦数隻と駆逐艦が10隻以上損傷。 日本は、駆逐艦「竹」が戦闘に損傷を受けた状態で同じ台風に遭遇しましたが無事帰還しています。

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重武装の要求にこたえて 復原性の低い不安定なフネを設計した 艦政本部の責任です。 当時の設計技術でも危険性は認識できていたので 責任者の少将が処分されました。 90年後に蒸し返しているんですか、もっとぜい弱なはずの米国の艦艇が、日本近海でも荒波で沈まないのだから、日本海軍の政治レベルの低さの象徴です。