ロベルト・シューマンはなんでピアニストから作曲家に進路を変えたのですか? 最初はピアニストになるつもりだった。

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シューマンは子供のころからピアノを弾いており、大学時代にはハイデルベルクでピアノ演奏で評判を取るほどの腕前でした。友人たちとも室内楽をよく演奏していました。母親の意向もあって大学では法学を学んでいましたが、パガニーニの演奏会が決定的な動機となって、音楽の道に進むことを決意します。それで最初はピアニストをめざし、ライプツィヒでピアノ教師として有名だったフリードリヒ・ヴィークの家に住み込みでレッスンを受けました。ヴィークの娘がクララで、二人は後に結婚することになります。 しかし、最初の方がウィキペディアを引用しておられるように、指を故障してしまい、ピアニストを断念します。故障の理由は、自分で考案した装置で指を吊って練習したというのが昔からの説だったんですが、近年になって梅毒治療のために水銀を使ったことが原因という説が有力となっています。梅毒はシューマンの死因にもなっています。 シューマンはチェリストになることも考えたらしいですが、作曲家の道を選びました。作品20くらいまでのすべての作品がピアノ曲ばかりというのは、こういう経過も関係しているわけです。

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ピアノはそんなに得意じゃなかったと言われてますからなれなかったが正しいよね。 と、作曲家としても当時の人気ピアニストだったクララ・シューマンの活躍によるところも大きいと。 素敵な作曲家ですけどね、妻の協力が無ければ名を残せたかはわからない。。 リストも結構褒めてくれたりしたらしいんですけど、何やかやリストって格好良かったらしいのね、っていうのも社交界的な話だと妻の活躍が大きそうな。良いとこのお嬢さんですし。 クララも作曲もできたらしいんですが、ピアニストとしてシューマンや後輩のブラームスに貢献したという、両者とのロマンスも噂がありますが、彼女の男らしさにむしろ驚きますね。

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ピアノは小さい頃からやってたんですが、ピアニストを目指してヴィークに師事したのが18歳 無理がたたって指を壊したとされてます。 シューマンのピアノ曲弾いてみるとショパンと比べると指使いに無理があります。

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Wikipediaからの丸写し。 ------------------ 1831年、シューマンは「自伝的覚え書き」に「テクニックの練習をしすぎて、右手がだめになってしまった」と述べており、この時期に右手を故障したものと見られる[62]。 故障の原因として、シューマンが独自に工夫した機械装置によってピアノを練習したことが挙げられているが、詳しくは後段で述べる。 【指の故障】 ウォーカーによれば、おそらく1830年にヴィークのレッスンを受け始める前からロベルト・シューマンは右手の不調に気づいていた[156]。 その1年後、1831年の「自伝的覚え書き」にロベルト・シューマンは「テクニックの練習をしすぎて、右手がだめになってしまった」と記している[62]。 1832年にヴィークがクララの演奏旅行に同伴してライプツィヒに戻ったときには、後に夫になるロベルト・シューマンの右手はまったく使えなくなっていた[156]。 シューマンの指の故障について、伝えられているのは、シューマンは指の動きを均等化するために指の1本だけを吊りながら演奏するという機械装置を独自に考案し、右手の第4指ないし第5指の腱を傷めたというものである[62][157][60][49]。 しかし、シューマン自身がこのように説明している記述はどこにもない[62]。 指の訓練機械について最初に触れたのは、ヴィークである。彼は1853年の著書『ピアノと歌』で「その指の訓練器は私のある有名な弟子が私の意に反して発明し、密かに使っていた。そして当然のこととして、第3、第4指を痛めてしまったのである」と述べている[62]。 ヴィークはこの弟子がシューマンであるとは述べていないが、後世の解説者たちはこれをシューマンと結びつけた[62]。 さらに、シューマンの四女オイゲーニエが父親が第3指を縛ってつり上げ、他の指で鍵盤を弾いたと述べたことで決定的となった[62][157][注釈 27]。 1889年、シューマンの研究家フリードリヒ・ニークス[注釈 28]がクララに会ってインタビューしたところ、クララはシューマンが故障した指は右手の第2指であり、固い無音鍵盤で練習したのが原因だと語った。ニークスは、それまで知られていた説と矛盾するクララの証言について、70歳という老齢による錯誤であろうとして信用しなかった[62]。 しかし、80年後の1969年、ライプツィヒ市の資料室からシューマンと軍司令官との間に交わされた未公開の書簡が発見された。シューマンは1842年に軍隊入りを志願したものの、手の疾患のために兵役免除となっていた。書簡にはシューマンの主治医ロイター博士の署名入り診断書が添えられており、右手の人差し指と中指が悪いと記されていた。これは、クララの証言を裏付けるものである[62]。 1971年、イギリスの音楽学者エリック・サムス(en:Eric Sams)は、少なくとも一般的に知られているような形でのロベルト・シューマンの指の「事故」はなかったとし、シューマンは水銀中毒のために運動機能に回復不能の症状を来したと仮定した[62]。 19世紀当時、梅毒の治療には広く水銀が使われており[62]、この間、すでに述べたように1959年にスレイターとメイヤーの共同論文によって、ロベルト・シューマンの死因が第三期梅毒であることが指摘されていた[62][153]。妻クララに梅毒がロベルトから感染しなかったのは不幸中の幸いであると云える。