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2021/11/28 8:35

99回答

織田信長が本能寺の変後も生存してたら、徳川みたいに長期政権を築けたでしょうか?

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本能寺の変の直前、織田信長は日本統一 をマトメて一挙に、やろうと言わん ばかりの織田軍を4つの方向に同時に 展開させていました。1つは羽柴秀吉が 毛利と合戦もう1つは柴田勝家が上杉と 合戦もう一つ、は四国への遠征、 他には後北条と対峙する織田軍。 つまり織田信長が自分で織田軍を4分割 して散らせていたわけで、これでは 自分自身まもる戦力が欠乏して当り前で 謀反おきても助かりは、しないのが 普通です。

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それは分かりません。 何しろ、織田信長は、天正三(1575)年十一月二十八日に嫡男:信忠に家督を譲っています。 さらに、天正十(1582)年三月二十六日頃、信濃国諏訪で、信長は信忠に「天下の儀」すなわち「天下人の地位」までも譲ると表明しました。 そして、信忠は信長に礼を述べるために、甲斐国甲府から諏訪に二十八日に着きました。 しかし、残念ながら、信忠が信長が譲ると表明した「天下の儀」を受けたか否かは記録がありません。 なお、信長が天下統一後に海外進出をしようと考えていたという史料は日本にはありません。 1582年にルイス・フロイスがイエズス会総会長に宛てた書簡(『日本史』『1582年日本年報追加』)にそれが書き残されています。 「(前略)信長は、事実行なわれたように、都に赴くことを決め、同所から堺に前進し、毛利を平定し、日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。(後略)」 このイエズス会の史料には、信長が天下統一後に、「シナ」=「明」=「中国大陸」の武力による征服を考えていたと書かれています。

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可能性は高いでしょう。男子がたくさん生まれましたから。兄弟の争いのおそれも同時に生じますが、男子がいることが大前提です。どういう統治システムをとるのかが課題ですね。朝廷から官職を受ける形を考えるのか、朝廷は棚上げにして全く別の体系をつくるのか。

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信長が本能寺の変を切り抜けたとしても、長期政権になるかとは全く別の問題です。 織田幕府ができるとして、それを徳川幕府のような安定政権にするのは信長以後の後継者の資質です。徳川幕府にしても、三代家光とそのスタッフの産物です。家康は関係ありません。

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織田信長が海外進出を考えていた・・というのはガセネタであることは、すでに判明済みで、空想の産物です。『朝鮮通交大紀』に現れる明との貿易を開こうと通交の斡旋を朝鮮に仲介を依頼した者(右武衛殿)を信長であるとするのは人物誤認であったということが研究で明らかになり決着してます。 信長が日本の統治体制の構想、幕府をひらくのかどうするのかといったこと、その後の外交政策なども含めて「すべて不明」です。 長期政権になったかどうかも未知数でしかないです。

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