元々京都市は原子爆弾の最重要かつ第一目標だったので破壊力を確かめるためにわざと大規模な空襲をしなかった、とありますが結局土壇場で候補から外されたあとも大規模な空襲を受けなかったのはなぜですか?

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>元々京都市は原子爆弾の最重要かつ第一目標だったので破壊力を確かめるためにわざと大規模な空襲をしなかった それって、近年登場した誤解です。 京都市には、港湾も軍需工場もなく、大きな軍事施設もなかったので、米軍は大規模な空爆をする価値がない、と見ていたので、小規模な爆撃を数回やっただけです。 マンハッタン計画(原子爆弾の開発)そのものが、厳重な軍事機密だったので、通常爆撃の目標を決めるテニアン駐留空軍の目標判定官(佐官クラス)は そのような兵器の存在すら知りません。原爆開発の指揮官クラス(グロービス少将)から直接「京都への通常爆撃を控えよ」と指揮ができるわけもなく(系統が違う)、ひそかに目標都市のひとつに京都を選んでいたところで、どうしようもないのです。 で、最初の爆発実験に成功し、京都を目標として俎上にあげたら、既出の様にスチムソン陸軍長官の反対にあいました。1945年の5月ごろです 原爆を実際に落とすことで、勝利を目前にした彼は、もう戦後に日本人をどう支配するのがベターか、と考え、文化財の多い古都・京都を、爆撃せずにおくよう、通常空襲部隊に指示をだしたのです。日記に書いています。 戦後の日本人を占領支配するのは、ソ連や中国といった他の連合国の軍隊も同様でしょうが、原爆を使わないとしても、日本文化のふるさと、奈良や京都を存置しておくのが、日本人を米国になびかせる手法となると,確信していました。

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当時のアメリカの陸軍長官だったスティムソンが京都の滞在経験があって、京都の爆撃を強硬に反対したそうだ。