福井藩ってずっと公武合体派でしたよね。どうして戊辰戦争の時に倒幕派(新政府の軍)に加わったのですか??

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

なるほど。そうだったんですね。春嶽は最後まで徳川家を守ろうとしたけれど、やはりやむを得なく新政府軍に加わるしかなかったんですね、、、。 皆さん回答ありがとうございました。疑問が解けました!

お礼日時:2021/12/8 20:24

その他の回答(3件)

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1863年、松平春嶽は兵を率いて上洛し徳川家茂を助け、公武合体の体制を固めようとします。 しかし、福井藩保守派つまり佐幕派が反対したため挙兵上洛は中止となりました。 この後、禁門の変となります。 松平春嶽としては、京都に上洛し尊皇派と佐幕派の調停をしたかったようですね。 十分やったと思います。

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土佐、福井、薩摩は元々は一橋慶喜を担いで雄藩連合による幕政改革を目指していました。しかし慶喜が彼らを排除して、一会桑政権(一橋、会津、桑名連合政権)を作ったことから、薩摩は長州と結んで積極的に倒幕を目指すこととなり、土佐と福井はその流れを追従することとなった。 慶喜は志と野心のある連中を中途半端に追い出して野に放ち、アンチに追いやってしまったということになる。その7年前に、幕府の権力の再興を目指した井伊直弼は、彼ら雄藩に積極的な弾圧を行い、テロにより排除されたのだが。

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バスに乗り遅れる訳にはいかないからです。 親藩なので、朝廷から睨まれてしまいます。 この事は幕府軍先鋒の藤堂家、大老の家柄井伊家、御三家の紀州・尾張家も同様です。 最後まで抗ったのは、松平容保と函館の旧幕臣の脱走兵くらいです。

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