正教会というのは、細かい教理は抜きにして、うちはキリスト教の正統派で元祖という教会の派という理解で問題ないですか?
正教会というのは、細かい教理は抜きにして、うちはキリスト教の正統派で元祖という教会の派という理解で問題ないですか? また、ロシアなんかでは御用宗教と言われますが、西方のように宗教改革や、市民革命や啓蒙思想との対峙がなく、20世紀に共産主義の弾圧を受けただけだからですか?
ベストアンサー
ざっと、問題ないです。 自分が思うに、一つはカトリックによって変えられなかった部分ということ。 積極的に素晴らしい教義を打ち立てた部分もあるかもしれないが、それよりはむしろ変えなかったということが評価されるべきものと思います。 たとえば、聖霊は子からもでる、等と言わなかった。 中に入れば宝の山ですよ。つまり、正教に来て、素晴らしく理論だった教義に感服させられるというよりは、求道者が「こんなものがないかな。こんなものがあるはずじゃないか。」と思うようなものがきっとあるという点が優れていると自分は思う。常に発見がある。 もう一つは、カトリックによって中心勢力が攻め滅ぼされてしまい、長い間イスラムの支配下にあったということ。その分、新しいものが生まれなかった。たとえばプロテスタントは生じなかった。ロシアでは西洋化で四部合唱になっちゃったけど、ビザンチンの世界にはポリフォニーなんかが生まれることはなかった。 こうしたことの結果、いま正教で聖人ということで思い浮かべる人は、大体4世紀から5世紀ぐらいまでの人が中心です。サンタクロースとして知られるミラの主教のニコラオスもそう。カッパドキアの三師父もヨハンネス・クリュソストモスもそう。こうした人たちはカトリックでも聖人なんですよ。でも、カトリックでその遺産は意識されないんです。 御用宗教という言い方は知りませんでしたが、それはカトリックさんが世俗の権力を求めたからだと思います。 ローマ帝国の時代にすでに、皇帝と主教の権力は別々で並び立つものだった。しかし、東西分裂の後西側を支えるはずだった西ローマが滅び、西に皇帝がいなくなった。紆余曲折の末、カトリックは教会の領地を持ち、各国王を上回る財力、権力を持つ体制が出来上がった。 多かれ少なかれ、権威主義というのはどこの世界にもあるものだろうとは思う。正教にそういうことがなかったというつもりはありません。しかし、カトリックさんは度を越したものだったと思います。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。
お礼日時:1/16 23:21