昔大阪に阪神、南海、近鉄、阪急の鉄道会社四球団がひしめいていた頃、ファンの棲み分けは電車路線の沿線で棲み分けていたのですか?

補足

ロッテと日ハムの前身の東京オリオンズや東映フライヤーズも東京に拠点がありましたが東京球場のあった下町にはけっこうオリオンズファンはいたのですか?東映のホームは日ハムになってからも後楽園でしたがファンの数はヤクルト以下の最も目立たない存在だったのですか?

プロ野球 | 鉄道、列車、駅232閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

2人が共感しています

ベストアンサー

2

2人がナイス!しています

その他の回答(7件)

1

昔はテレビで試合が見れるのは巨人と阪神だけだったので それ以外のチームのファンはかなり珍しいものでした。 球場もガラガラだったと思います。

1人がナイス!しています

1

河内の住人ですが、近鉄電車が好きでバファローズファンでした。棲み分けなどないと思います。南海ファンもいましたし、阪急もいました。セントラルは大概が阪神ですね。 どちらかというとパには興味がないという人が多かったのではないでしょうか。 自分はネッからの近鉄ファンでしたからパリーグが好きでした。阪神はついでにファンという感じでしたが、なんせ弱い印象が近鉄より強いです。 古い大阪人はセ、阪神。パ、南海という人は多かったですね。あの水島先生も関西の方ではないですが、そうでした。

1人がナイス!しています

2

近鉄沿線は阪神ファンの住み家。 藤井寺で試合がある日は急行が臨時停車しましたが、盛り上がらない事はなはだしい。バファローズの帽子を被っている者は世を欺く巨人の隠れファンでした。

2人がナイス!しています

3
ID非公開

2022/1/16 10:16

ほとんど阪神ファンでした。 私のように、阪神プラスパリーグの一つを応援するというのが多かったと思います。 1960年代までなら南海、70年代は阪急、後半から90年前後までは近鉄が強かったのでまんべんなくファンはいましたね。 南海が暗黒になると新たなファンはほとんどいなくなりました。 阪神は暗黒時代だろうがとりあえずファンはやめなかったですね、みなさん。巨人に乗り換えたとかいう話も聞かなかった。逆に江川、桑田の入団の時に巨人ファンやめた人とかいました。

3人がナイス!しています

2

>~ファンの棲み分けは電車路線の沿線で~ いいえ。阪神一強でした。ま、大阪市内南部から南側では、南海ファンが一定数居ましたけど。難波が始発で激戦区ってこともないです。近鉄がなんばまで延長されたのは1970年だし、阪神は全く難波にかかわりがなかったし。難波には、大阪球場があったこと、かつては南海が強かったこともあって南海ファンの密度が他よりは高かったかな?という程度。とはいえ、阪急沿線には「隠れファン」は適当にいたみたいです。ただ弱すぎた時代が長すぎて表に出てこなかった。西宮球場はいつもガラガラ。応援団のチアガールは業務命令を受けた阪急百貨店の女性従業員だったし。 これは、リーグ分裂をした際に読売が考えていた目論見通りになったということです。リーグ分裂は、関西の鉄道系の球団が画策したことです。読売は、「東西対決」を仕掛ける意味で、阪神がセリーグに所属するように仕向けたのです。

2人がナイス!しています