海上自衛隊が旧帝国海軍と決別して生まれた組織なのかどうかは海上自衛隊の艦艇が掲げる船旗である「自衛艦旗」を見れば一目で分かります。
また海上自衛隊創設50周年の記念式典で当時の海上幕僚長は「海軍の古き良き伝統を日本の財産として、今後も堂々と継承していく」と訓示しました。
このことからも分かるように海上自衛隊は帝国海軍の後継者である事を公言しています。それには設立の経緯が大きく関係しています。
陸上自衛隊の前身である警察予備隊や海上保安庁は国内の治安維持や警察活動強化のためにGHQの指示により設立されました。特に警備予備隊に関しては設立に際して旧陸軍の高級将校の入隊はマッカーサーの命令で禁止されました。
対して海上自衛隊の前身である海上警備隊は、主権回復後の国防を担う新生海軍の再建を目指す帝国海軍の元士官等有志とそれに理解を示したアメリカ海軍士官およびアメリカ政府との直接交渉により設立されました。また同時に海上警備隊に元帝国海軍の将兵を入隊させる為にアメリカに公職追放令を解除要請し許されました。
それにより海上警備隊の初期隊員の殆どが旧海軍出身者で占められることになり、職掌や艦内編成、日課や号令符など旧海軍の習慣がそのまま受け継がれ現在に至ります。
ちなみに旧軍用語である「士官」の用語が現在も使われているのは3自衛隊の中でも海上自衛隊だけになります。
また質問にありました海上警備隊がアメリカ海軍より貸与を受けて運用していた「くす」型警備艦(パトロール・フリゲイト)が樹木の名前が付けられた理由についてですが旧海軍で二等駆逐艦に相当する艦であったこと、また戦後まもない軍隊アレルギーが強い国内世論を刺激しない事などが挙げられます。(同時期に貸与されたLSSLには草花の名前が付けられたがこれらは旧海軍で命名実績はない)
なので決して旧軍に決別してこの名前にしたわけではありません。その証拠に貸与艦艇の第2陣としてリヴァモア級駆逐艦(旧海軍一等駆逐艦相当)が引き渡されると「あさかぜ」型と命名され、また昭和28年度計画により建造された戦後初の1600トン級国産警備艦は「はるかぜ」型と命名され、その2番艦には幸運艦として有名な旧海軍の陽炎型駆逐艦の艦名を受け継ぎ「ゆきかぜ」と命名されるなどさっそく駆逐艦の名前が復活しています。
また過去に使われていた艦名を復活させる事(受け継ぐこと)は世界中の海軍で慣例的に行われていることで別段珍しいことではありません。旧軍と決別して設立された海上保安庁の巡視船ですら旧海軍で使われていた船名を受け継ぐ船があります。