1543年、コペルニクス死ぬ
1546年、ティコブラーエ生まれる。
1564年、ガリレオ生まれる。
1571年、ケプラー生まれる。
1596年、ケプラー「神秘的宇宙」刊行、ガリレオに贈る。
1601年、ティコブラーエ急死する。殺害説あり。
1609年、ケプラー「新天文学」で第一、第二法則発表。
1619年、ケプラー「世界の調和」で第三法則発表。
以上が第三法則が生まれるまでの年譜です。
>ケプラーはコペルニクスに手紙を送り、全面的な支持を送ったらしく、
と書き込みをした人がいますが、コペルニクスが死んで50年以上も経っているので、それはあり得ません。
幽霊と文通でもしたというのでしょうか?
恐らくガリレオに自らの著書の出来具合を聞きたくて、彼に「神秘的宇宙」を送った話と混同しているのではないでしょうか?
ガリレオは当時ヨーロッパでは有名人でしたので。
それより知恵袋を閲覧している方たちに注目していただきたいのは、最初の法則が発表されたのが、ティコブラーエの死後であるということです。
しかも8年後ということです。
ティコは晩年、ケプラーを寄せ付けませんでした。
ケプラーが彼の観測データを狙っていることが分かっていたからです。
ですから、そのデータを彼の生前、手に入れることは出来ませんでした。
ではケプラーはどうやって手に入れたのでしょう?
じつは、急死したティコの葬儀のどさくさに紛れて盗んだのです。
遺族とそのことでもめていますので事実です。
金で折り合いをつけようとしていたようですが、果たしてどうなったのでしょうか?
「ティコの名誉を世間に知らしむる」とか何とか言ってごまかしたように思います。
>ケプラーはなぜ、惑星は太陽を楕円で周ると発見できたんですか?
火星の軌道が真円でないことに気づいたティコが、彼に漏らしたことがありました。
「火星の軌道が円ではなさそうだ」と。
それで、その軌道のデータがどうしても欲しかったのでしょう。
盗んだ直後はまず、その火星のデータの解析をしたでしょう。
そして、最初は卵形を考えたようですが、じきに楕円に気づきその焦点の位置に太陽があることにも気づいたようです。
8年かけて。
「人の褌で相撲を取る」とはまさにこのことを言うのでしょう。
そんなケプラーをまるで万有引力を発見するきっかけを作ったように、今日の教育現場では教えています。
そして、楕円、楕円、と狂ったように言い募ります。
「惑星の軌道は円運動」などと言ったものなら、まるで犯罪者扱いです。
そうですよね?この知恵袋の皆さん。
でも、楕円運動と円運動の関係をどれだけ皆さん理解しているでしょうか?
皆無と言って良いでしょう。
じつは、ケプラーの第三法則、T^2=k×R^3
はこう表すべきだったんですよ。
V^2×R=一定=K(V:惑星の公転速度、R:平均公転半径)
こうすれば物理になります。
これを、ぺったんこの楕円のハレーすい星に当てはめましょう。
長軸半径 a=17.83414429 au
周期 T=75.3年
平均公転速度 V=2×3.1416×17.83414429 /75.3=1.4881
V^2×a=166.752×17.83414429 =39.4777
これを地球と比べてみましょう。
長軸半径 a=1 .0au
周期 T=1.0年
V=2×3.1416×1=6.2832
R=a=1 .0au
V^2×R=39.478
どうですか?円運動に置き換えられるでしょ?
これが物理なのです。
楕円だ、楕円だを連呼することは、自らの物理音痴を表明しているようなものです。