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そう言う実例はありません、と言うか、私は知りません。東條の天皇に対する忠誠心は当時の軍人なら誰でも持っていた程度のものではないでしょうか。東條が特に強い敬愛の念を持っていた事を示すエピソードはありません。 東京裁判についても、 >>他の当時の大臣達はこぞって昭和天皇に責任なすりつけた中で 唯一だからね。 と言う回答がありますが、誤解ですね。そう言う事をした大臣はいません。そして天皇を戦犯にしない事は、グルー元駐日大使やマッカーサーの建言によって東京裁判が始まる前に決まっていました。 下の回答にある「広義と狭義の勤王」は、サイパン失陥を機に辞職に追い込まれた時に東條が残した言葉です。権力の座に執着した東條は天皇に直訴までしましたが、東條の泣き言を黙って聞いていた天皇は、東條がしゃべり終わったら「ああ、そうか」とだけ言ってあとは無言。これで東條はあきらめて辞職した。それが悔しくて東條はあの様な捨てぜりふを言ったのでしょうね。 そして日本が降伏した時、あの東條メモにこう書きました(現代語訳) 「政府、国民がこんなに簡単に手をあげるような意気地なしとは夢にも思っていなかった。そんな国民をあてにして戦争指導した自分が馬.鹿だった」 無茶な命令に黙々と従って死んだ忠勇な兵士たちや16歳からの特攻隊の若者たち、苦しい生活を我慢して政府の指導に従った国民を侮.辱した言い草であり、昭和天皇の聖断を馬.鹿にしたコメントですね。 東條が天皇に特別に強い忠誠心を持っていた言う説はどうやって始まったのでしょうね。具体的に御存じの方からの回答をお待ちします。
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質問者からのお礼コメント
結局東條は天皇に特別に強い忠誠心を持っていたわけではないのですね。よく分かりました。有難うございました。
お礼日時:1/29 13:24