日本海軍の大型機開発で中島の深山が失敗して、川西の二式大艇が成功したのは 大型機に対する経験の差なのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

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お礼日時:1/21 19:39

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もともと海軍が四発陸攻を欲してモデルに使えそうな外国機を探し、DC-4Eなら売ってもらえるということで既にDC-2をライセンス生産していた中島に陸攻へ改造する仕事を振ったという流れです。主翼の流用は海軍の要求ですから見抜ける見抜けないの問題でもないのでは。ただ海軍からすると大型四発機で雷撃に必要な運動性を得るためにDC-4Eに採用されていた新技術である油圧操舵機構を使いたかったという事情もあります。そういう点では手動操舵のみで翼面荷重も高い二式大艇は深山よりも雷撃機としては適正が低くて元々の要求が甘い状態でした。また大型機の設計でネックとなる離着陸性能も深山は欧米の四発重爆と比べて短い距離での離陸を求めたのに対して、大艇は広い水面を使うため滑走距離の制約が緩いです。十三試陸攻の要求に沿った陸上機を川西で作ったとしても史実の二式大艇より主翼面積が大きく速度が遅い機体しか作れなかったでしょう。史実の深山よりは軽量かもしれませんが、油圧機構の故障などは国産機に共通して発生した問題ですし成功した機体になったかは分かりません。 ちなみに中島には九七式重爆以外にも海軍向けに開発して採用されなかったLB-2という陸攻があります。

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中島だけでなく、日本のどのメーカ-も4発大型機の豊富な経験などありません。三菱が手掛けた92式重爆なとユンカ-スのライセンス生産でオリジナルではありませんし。 ただ、海軍機には欠かせない水上機のノウハウ(艇体など)はイギリスのショ-トF5、アメリカのPBY-1のライセンス生産や輸入、91式飛行艇その他幾つもの機体によりある程度の知見が得られています。 また、大型機に限らず日本の航空機の弱点であった油圧・電動の補器類については、97式飛行艇には引込式の着陸装置も開閉式の爆弾倉も回転式機銃塔もありません。その分、故障を起こす部分が少ない事でもあります。 深山は原型となったDC4-E自体アメリカで失敗作とされており(だからこそ日本への輸出もすんなり承認されたのでしょう)、「出来の悪い見本」をベースに大型機経験のない日本が、しかも各種補器類の技術がもともと劣る日本が様々な新機構を織り込んだ4発機を手掛けたのですから最初から無理がありました。中島ではなく川西でも三菱でもどこがやっても失敗だったでしょう。その上、エンジン馬力がもともと不足、4発機に雷撃能力まで要求したのですから。

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爆撃機と飛行艇では機構が全く違います。 確かに4発機の経験は必要なのですが陸上用の着陸装置がないことなど二式大艇はかなり簡素なつくりです。ポーポイシングの問題は残っていましたが必要性があるために採用されています。対潜哨戒や救助用に必要でした。操縦性、搭載量ともに良好な飛行機でした。 深山は中島飛行機がこれぐらいの飛行機が作れなければ戦争には勝てないというメーカーのプレゼンです。鉄も石油もなくなりかけているときにわざわざリスクを背負い量産することもなく採用されませんでした。つまりそれどころではなかったのです。

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日本海軍の要求性能が過大だった事でしょうね!4発大型爆撃機に雷撃性能を求めた事が失敗の原因です。水平爆撃だけを求めたら立派な戦略爆撃機になりましたよ!