鎌倉殿の13人をみたり、歴史の教科書よんでみておもうんですが、 なんで賴朝て女好き、 兄弟が懸命に闘っても感謝しない、戦場にあまりたたない 、父義朝を 殺した者をこき使ったあげく、

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守護・地頭の権利(=土地支配権)を朝廷に認めさせたからです。 ↑ここがわからないんです。素行もわるい 戦功をたてた弟たちに感謝ができない 、 浮気する 、 人を騙してポイする。 血反吐を吐くような戦働きをしない人に なぜ 朝廷にみとめさせるだけの武力があつまり、権力をもつことができるのか。普通だったら こんな流人に ワンチャンもあたえてもらえず、 東国の武士からも戦をしらん偉そうなお坊ちゃんあつかいされて 相手にされないきがします。

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「関東の武士たちのニーズに合っていたから」です。 このころの武士は、自力救済が基本でした。 自分たちの領地や権利が守られることが第一だったのです。 しかし平家の専横により、関東へも平家の権力が侵食してきました。 そんななか、以仁王の令旨により全国の源氏たちが蜂起します。 ここに加われば、武士たちは大義名分をもって自分たちの土地を守る戦いに参加し、平家を倒すチャンスが得られるわけです。 関東にいた源氏の嫡流・頼朝は、おそらくそうした関東の武士の希望を理解し、自分がその希望通りの行動をするように努めました。 たとえば、木曽義仲を倒した後に京に行こうとする頼朝は、関東の武士から「あなたがそんなところに行ってしまっては困る(平家のように朝廷と接近されてもつまらない)」と引き止められ、鎌倉を出ることを断念しています。 質問者様のおっしゃるように、頼朝に個人的なカリスマがなかったのは確かなようで、頼朝亡き後、彼の子供たち(頼家・実朝)を忠誠心から積極的に守ろうという御家人はあまりいません。 梶原景時くらいでしょうか。 身を粉にして同族を助けてくれたかもしれない範頼・義経などの兄弟は、自身の脅威になりそうだったので、頼朝自ら滅ぼしてしまいました。 武家政権のシステム作りに終始し、御家人たちの希望を聞き入れながら覇道を推進した頼朝の、これが宿命だったかもしれません。 ちょっとフォローしておくと、頼朝は義理高いというか人情的なところもいくつかあり、むかし個人的に助けてくれた平家の人間を後年助けたり、敵対していても堂々と道理にのっとった行動を見せる武士は評価していたりします。 そうした部分が頼朝の本音なのかもしれませんが、部系政権樹立のため、なかなかそれを出せなかったところはあったかもしれません。

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「兄弟が懸命に闘っても感謝しない」ってのは、平家のように身内だけで利益をがっぽり抱え込まないってことですけどねえ。 身内贔屓で利益をがめて、頑張った他人は冷遇・・で崩壊したのが、平家であり建武の新政での政権でしょ? 女好きは閨閥を増やすのですから、むしろ良い資質ですし。 武家の基本原理は質問者さんもご存じのとおり「御恩と奉公」ですから、助けてやったのに恩賞の土地をくれないのであれば、誰もついていきませんよ。 これは平氏も源氏も藤原氏も皇室も同じでして、保元/平治の乱で平氏・源氏・藤原氏・皇族がそれぞれに与して敵対したように、江戸幕藩体制になるまでは延々と利益を保障してくれる方へ武家はつく、そうでなければ離反するの繰り返しです。 つまり、義経や木曽義仲が平家の独裁体制を打倒するっていう共通利益を有している間は仲良しですけど、勝者の側に回ったとたんに内ゲバが始まるわけで、これはもう世の習いですよ。 日本だってフランスだってイギリスだって、革命の後には内部抗争と内乱ですから。 >豊臣秀頼の場合とは違い 源氏嫡流とは格が違いますよ。 時代も違います。家柄が秀頼の時代より遙かに価値がありましたし、誰も疑うことなきホンモノの源氏です。一方、秀頼は下克上の時代の後ですし、源氏・平氏も藤原も僭称・詐称がまかりとおる時代ですから。 大阪の陣のことでしたら(関ヶ原は曲がりなりにも武将が集まりましたからね)、とっくに徳川の世で秀頼より官位は上ですし、そもそも秀頼に分け与える土地なんて無いですから、負けても喪う領地がない浪人武将しかあつまらないのは道理です。 で、頼朝と北条執権は気前よく、平家と朝廷から分捕った荘園を分け与えたわけです。 親分として優秀だったってことですね。 ケチな親分では。金子信雄がどうなったかを見ればわかるとおりです。

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そういう損得だけで動く人間は、ある意味行動が分かりやすく、その意味では安定性があるので、同じく損得勘定で動く人間から見ると利用しやすいタイプではあるわけです。北条氏もだからこそ頼朝と縁戚関係を結び、利用するだけ利用して、バカ息子の代になると乗っとって執権家となったのでしょう。

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一般の武士目線で見たら、身内だからといって、 特別優遇せず厳しい態度で接し、自分が直接指揮を取らない代わり、 後方で公平に戦功を評価してくれるリーダーだったからです。

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