死は「救済」、つまり自分を苦しい状態から解放してくれるものとしてよく叫ばれますが、これを非宗教的に否定することはできるのでしょうか。苦しみから無へ帰すことは救済なのでしょうか。

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返信と再度の質問失礼します。 では、その人間として楽しむことが出来なくなること以上に自分の環境が辛く耐え難いものだったとしても、同じことは言えてしまうのでしょうか。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答してくださった方たちの中で、自分の中でもやもやしていた思いを1番言語化してくれたと感じたのでベストアンサーとさせて頂きます。 他の方も回答ありがとうございました!

お礼日時:1/25 18:48

その他の回答(5件)

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宗教的に否定は出来ないね お釈迦様の正法に遇えたら絶対的幸福は間違いないから ただ、遇える人は少ないけどさ 遇えないと不幸は続くよね

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無理でしょう。 科学は再現が可能な事象しか扱いません。一人の人間にとって、この人生は一度きりです。 同じ時代に生まれ変わり同じ人生をもう一度やり直すことは不可能です。 「苦しい状況」に 自分自身を自分自身で導いた人には「救済」でしょう。 逆に、「幸せな状況」に 自分自身を自分自身で導いた人にとっては「感謝」です。 生命が有限という一点を見ても人間は最初から救われた存在だということですよ。

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これ以上の苦しみを味わわない状態になるという意味では救いといえますが、 ありがたいという意味を含む救いではないでしょう。 現世で救われる方がよほどよいわけで、しかしその望みさえ失われてしまったときには 命をたつことによってもう苦しみを感じなくなるならば「死ねる」ことは救いになりうるでしょう。 それを否定できるかということであれば、そんなことは誰にもできないようにわたしは思います。

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そうです。関東出身の母は死はおしまいでした。ニュートン説だと死は体からの解放で魂は存在するはず。

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江戸っ子なら「死んじまったらおしめえよ」といいます。 あるいは「命あってのものだね」とも。

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