日本海軍が行った「い号」や「ろ号」作戦は機動部隊の艦載機を陸上基地から運用していますが、これは空母から発進した方が効率的な運用が可能だが、空母を危険な目に合わせたくないという温存策だったのでしょうか?
日本海軍が行った「い号」や「ろ号」作戦は機動部隊の艦載機を陸上基地から運用していますが、これは空母から発進した方が効率的な運用が可能だが、空母を危険な目に合わせたくないという温存策だったのでしょうか?
ベストアンサー
その通りです。当時、すでに日米の空母戦力は完全に逆転し、特にベテラン搭乗員の減少によってまともに戦える状態ではなかった。空母を出動させても、護衛戦闘機の数も技量もアメリカには対抗できず、日本側は実戦を訓練の場としなければならないほど、追い詰められていた。 対するアメリカは、洋上の空戦の後には海上を捜索し、救助を求める味方パイロットを救出する余裕があった。というより、航空機は素早く量産できるが、どんどん進歩する航空機のパイロットを訓練するには非常に長い時間がかかるので、補充が難しくなると言う事情もあった。 日本はミッドウェイの戦いの後、空母艦載機の搭乗員養成が間に合わず、空戦のたびに消耗するという悪循環を繰り返し、すべてが後手後手に回った揚げ句、挽回のチャンスも消え失せたということです。 つまりは、真珠湾攻撃で航空部隊の攻撃力を証明して見せた揚げ句、肝心のアメリカ空母三隻を取り逃し、その上ミッドウェイ攻撃と言う戦略的に意味のない戦いで主力空母四隻を失い、アメリカ空母を一隻撃沈しただけという時点で、そのあとは日米戦力の差を開く一方にしてしまった。海軍戦力で勝負がつけば、いくら陸軍が頑張っても、あとは史実の通りの悲惨な経過を辿るほかなかった。 そもそも軍令部長の永野修身が山本五十六の暴走を許し、しかも真珠湾奇襲の際、艦隊司令長官の南雲忠一に対し、軍令部が「空母を一隻も沈めるな」と注文をつけていたため、アメリカ機動部隊が所在不明なのを恐れた南雲が、真珠湾の港湾施設や燃料貯蔵庫の破壊を行わずに帰投したこと、そのためにアメリカ側には戦死者三千人以外に実害がほとんどなく、アメリカ国民を怒らせるだけの効果しかなかったことに起因している。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:1/27 19:32