映画『沈黙~サイレンス~』を観てどうしても理解できないことがありました。 当時切支丹と呼ばれていた人たちが、死を賭してまで信じたものは一体何だったのですか? どのような教えだったのでしょうか?
映画『沈黙~サイレンス~』を観てどうしても理解できないことがありました。 当時切支丹と呼ばれていた人たちが、死を賭してまで信じたものは一体何だったのですか? どのような教えだったのでしょうか? キリスト教の歴史や、難しい宗教観にまで触れてしまうと、とんでもない長文になりそうですよね。 なのでアホの私にでもわかるように、最大10行くらいの平たい文章で簡潔に教えていただけませんでしょうか?
ベストアンサー
神様は自分の愛するたった独りの子をこの地上に送るほどに、私達を愛している。更に、その独り子は私達の罪を赦し天国へ行くための救いを与えてくれた。今度は、逆に私達が神様のために生き、神様への信仰を守り抜くことが、自分に与えられた使命だと信じた。
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ご回答ありがとうございます。 この“赦し”がよくわからないのです。 懺悔すれば何もかも赦してもらえるという教えなのでしょうか? 天国へ行けるように、神を信仰して罪を悔い改めるという教えなのでしょうか?
質問者からのお礼コメント
>もし、現実的に今、あなたを強烈に愛するが故に、あなたの身代わりとなって死んでくれた人がいるなら、あなたは、その後どのような行動をとるかを考えれば、答が何となくつかめると思います。 これで合点がいきました。 そんな人を見殺しにしてまで生きていたいとは思わないからです。 大変わかりやすい例えのご回答をいただきまして、誠にありがとうございました。
お礼日時:1/23 20:39