昔は中国3000年の歴史といっていたのに、最近に なって4000年とか5000年といっているのはなぜですか?
昔は中国3000年の歴史といっていたのに、最近に なって4000年とか5000年といっているのはなぜですか?
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どれも、中国の主張です。(特に4000年~からは・・。) ■中国2000年説 「中国」という概念は、 始皇帝の「秦(チン)」(紀元前778~206年)が最初です。 長らく諸侯のひとつだった「秦」も、 春秋・戦国時代に「周(ヂョウ)」「(チィ)」ら周辺諸国を次々に征服、 始皇帝が紀元前221年に中国初の統一王朝を打ち立てます。 この紀元前221年から、 1911年に「清(チン)」のラストエンペラー・宣統帝溥儀が、 退位するまでの王朝交代ドラマはざっと二千年。 「統一国家の流れ」を重視するなら「中国2000年」となるんでしょう。 ■中国3000年説 世界四大文明のひとつである中華文明(黄河文明)の起源が、 青銅器と甲骨文字文化で知られる 「殷(イン)」(紀元前1600年ごろ~1046年)とされます。 とはいえ20世紀初頭までは長らく「殷」の存在自体が疑問視されていました。 1926年から河南省で殷の遺跡「墟(インシュィ)」が発掘され、 学術的にも殷王朝は立証されるに及び、 この「殷」から数えて、ざっと「中国3000~3600年」説が生まれました。 「殷」以前の確たる王朝遺跡はまだ発見されていないので、 「伝説を混ぜなければ、中国3000年が妥当でしょうね」と 考える学者は今も多いみたいです。 日本の歴史教科書も、長く「中国3000年」と記述していた記憶があります。 ■中国4000年説 殷の存在が立証されたことで、 「殷以前の"夏(シャア)"や、 "三皇五帝(神話上の8皇帝)"時代も存在したはず!」との意見が 1980年代に出始め、 「夏」(あったとすれば紀元前2070年~1046年ごろ)まで遡る 「中国4000年」が登場します。 「夏」については「殷」などの王朝同様、 『史記』などの歴史書にもその興亡が記されているものの、 まだ、決定的証拠は見つかっていません。 二頭里遺跡、新砦遺跡(ともに河南省)など 「夏」年代に相当する遺跡の発見は相次いでおり、 「コレこそっ!」と誰もが認める真打 「夏墟(シャアシュィ)」が登場するのは時間の問題とも言われています。 ■中国5000年説 90年代中期以降、 愛国主義の高揚とともに「新石器時代の高度な文明も含めるべきっ」 との説が脚光を浴び、 新発見の原始稲作遺跡・良渚(浙江省)、青蓮崗(江蘇省)などは、 紀元前2700~3400年前のものということで、 21世紀は「5000年」はちょうどキリがいい数字ということもあって、 今の中国人の認識は「5000年」みたいですね。 『中国五千年』(陳舜臣著、講談社文庫)によると、 「人間が文化をもったときから歴史時代とかぞえるなら、 新石器時代が歴史のあけぼのといえるでしょう。 (中略)放射性炭素の測定値は、 良渚文化がほぼ4700年、 青蓮崗文化が5400年ほど前です。」 とはいえ新石器時代まで含めてしまったら、 どの国も軽く5000~6000年の歴史を有することになってしまいます。 何故、中国だけ臆面もなく主張できるのでしょうか? 歴史が古いということは事実ですから、 相手(中国側)の自説は自説として丁重に聴きつつ、 古くから文明の栄えた地域という認識で十分かと思います。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございました
お礼日時:2009/5/2 21:05

