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昔の日本人が子供をたくさん産んだ理由として、「農業の労働力とするため」と説明する人がいますが本当ですかね?

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回答(6件)

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産めよ増やせよは国策でした。 昭和23年生まれベビーブーム生まれです。おかげで私は学校に行くのも最近ではワクチンの予約をとるのも大変でした。 労働力と言えば夫、およびその兄弟は家の手伝いは小さいころから、手伝いといっても今のような甘ちょろい手伝いではなく、畑の掘り起こしや(すべて人力)家畜の世話、井戸からの水汲み、風呂桶に溜めるのだってたいへんなことでしょう。過酷ですよ。上の子は下の子の子守、4キロの山道を毎日通学したそうです。 農家は牛や馬のいる家は金持ちで、貧乏な家は人力ですべてやるので子供と言っても同じ作業です。 ですから子供は労働力で、少し大きくなると働きに出て親を助け仕送りします。 また近所のお年寄りは9歳で奉公に行き、その給料は結婚するまで全額親が もらっていたそうです。 避妊の知識もなくたくさん産んでもたくさん死にますし。 少し前の日本ではこんなことは当たり前にありました。 私はたくさん産む時代に生まれなくて良かったと思っています。 だってお産は苦しいからね。何人産んでもあの痛さは変わりませんよ。

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おそらく、特攻隊とか戦争の特攻テロ行為に必要だったのでは。私のおばあちゃんは80代ですが、戦争に男児がいるので日本のために沢山産んでたらしいです、そして全員戦争で収集されて戻ってこなかったそうです。旦那さんもです。 だから、おばあちゃんは一人で10人産んで、8人は戦争で使われたそうです。 国も、たくさん子供を産めといってたそうです。国策です

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まず、子供は生まれても半分は育たなかったようです。 以前、江戸時代の乳幼児死亡率を知る参考に徳川将軍の子供の寿命の統計をとってみたことがあります。男の子は5歳までに、女の子は3歳までに死ぬのが当たり前だったようです。 七五三の祝いには「男子の5歳、女子の3歳を無事通り越した」という意味があるようです。 もちろん5歳を過ぎても絶対安全というわけではなくて、元服前に死んでしまう若様もいる。 将軍の子供でこれですから、農民の子供など、もっと悲惨だったはずです。どれだけ子供を作ってもこれで安心ということはない。 実際、子供が若死にしてつぶれた百姓の家というのもよくあったようです。 こんな状況では、子供は多い方が良い。大勢成人すればつぶれた百姓の耕地をもらって分家もできますから。 ちなみに明治時代にもっとも手厚い医療を受けていたはずの天皇家でも明治天皇は15人の子供ができましたが、成人したのは男1名、女4名だけです。

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他に楽しいことがなかったので、子作りばかりやっていたから。 という説を読んだことがあります。

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多産なのは、避妊の知識が無いこともありますが、衛生観念が未発達の時代では、子供は死にやすかったので「代わりが沢山必要だった」と言う事情もありますね。10人産んでも、8人が幼児のうちに亡くなり、太郎と八郎だけが生き残った、なんてことも普通にあるわけです。それでも家と村を維持して生産を続けていくには、子は産まないといけません。 効率がどうこうだなんて、当時の人は考えませんよ。江戸時代に徳川家の天下統一で平和が訪れるまでは、隣の村を襲撃して奪うのは日常だったのです。みんな生き残るのに必死です。

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