三種の神器、というのは考古学的な遺物ではなくて、信仰の対象物です。
だから、ホンモノとかニセモノとかいう言い方には、意味はありません。皆が「コレが三種の神器だ」と言っているものに「魂」が宿っているのです。いまさら沈んだ剣の残骸を探しても、意味はありません。
最初に誰かが作ったものが、そのまま現物で残っているから価値があるのではありません。だとすれば、途中で取り替えたら、あるいは作りなおしたらニセモノかというと、そういうものではありません。
「魂」がちゃんと移されていれば、それがホンモノなのです。
いま天皇の手元にある三種の神器のうち、剣と鏡はもともとレプリカです(形代、といいます)。剣のオリジナルは熱田に、鏡のオリジナルは伊勢にある、とされています。
これは誰でも知っていることです。
じゃあ今の神器はニセモノなのかっていえば、そんなことはありません。正式に「魂」が移されていれば、レプリカがホンモノになるんです。
だから、剣が壇之浦で海に沈んでしまって、どうしても見つからないなら、仕方ない、新しいレプリカを作ればいいだけのことです。
もちろん、新しいレプリカを作る儀式を大々的にやるわけでもない、これは天皇家の秘儀ですから、非公開で静かにやってるわけで。だから「そういえば壇之浦で沈んだ剣ってどうなったの?」とかいう人がいても、べつに「これと取りかえました」とか正式発表があるわけでもないし、新しい神器の公開がどこかでされたわけでもない、ってことです。誰かが「あの、海でこんなものを拾ったのですかど」と今更言ってきても、「あ、それはもう用が済んだモノなので」ってことにしかならないでしょう。
三種の神器は、箱の中に入っていて、代々箱ごと継承されている、天皇でさえ箱を開けて中身を見てはいけないもの、だそうです。
てことは、箱の中に何が入っているか、実は誰も知らない、ってことです。
もうボロボロで崩れているかも知れないし、実はなんにも入ってないかもしれない。
それでいいんです。
「そこにある」と皆が信じていれば、それでいい、魂はそこにあるんです。
以下は余談ですが。
三種の神器とは、そもそも何か。剣にはどういう「意味」があるのか。
クサナギの剣、もとはアメノムラクモも剣は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに、尾から出てきたもの、だそうです。
てことはさ、壇之浦に沈んでいる草薙剣を引き上げて、科学分析をすれば「この剣には大型爬虫類のDNAが含まれている! これで日本神話が真実の歴史であることが証明された! 」っていう世紀の大発見になるかも知れません。いやあ、ロマンが膨らむこと果てしないですねえ。
・・・笑い話は適当にして。
神話はただの作り話ではありません。古代の真実を伝える貴重な伝承です。この話は、ヤマト朝廷による出雲征服を象徴的に表していると考えるのが一般的です。
出雲は、鉄の産地として知られます。鉄鉱石の採取場となる山は、鉄分を含む土砂が流れて枝状になり、あたかも山全体が、多くの頭のある巨大な蛇のように見えたのではないか、製鉄を力の源とした出雲族は、その山を神として崇めていたのではないか。
つまり、ヤマタノオロチを退治して、そこから出てきた鉄剣を奪う、というのは、出雲族を征服して製鉄技術をまるごとヤマトの支配下におさめた、という歴史を、比喩として表しているんです。これが一般的に言われる「古事記の科学的解釈」です。
なんで神話って、そんなまどろっこしい書き方をするんだ、ズバリ「出雲を征服しました、そこの民衆を虐殺して奴隷にしました、鉄をまるごと強奪しました」って書きゃいいじゃないか・・・って、あなたは思いますか? どうですか?
普通、そんなふうには書きませんね。出雲征服はあくまで「悪者退治」であり、怪物(出雲の王様)に支配されてた民衆を助けたんだ、くらいの物語にしたいところです。
草薙剣、もとは天叢雲劔は、おそらく、もとは出雲族の王権の象徴だったものが、降伏の証として差し出された、そんなところではないかと想像します。
これを天皇家が代々保持するということは、日本が「ヤマト朝廷が出雲王国を吸収合併した連合国家である」ということを象徴的に示している、と考えられます。
ソレっぽい刀を製作した古代の誰かがいるのでしょうけど、誰がいつ作ったのかを追及しても意味はありません。だとすれば、「いっぺん壇ノ浦に沈んだはずだから、ニセモノでしょ」ということにもならないわけです。
三種の神器のほかの二つは、鏡と勾玉ですが、鏡がヤマトの象徴だとすれば、勾玉はもうひとつの被征服民の象徴でしょう。私は「さきたま古墳群」を作った東日本の民族、いわゆる蝦夷ではないかと睨んでいます。
ちなみにヤマトタケルも「神話」ですから、そこに書かれている話は、ホントに起きた話かどうかと聞かれれば、まあ、まるごとフィクションと言うしかないでしょう。だいたい剣で草を払ったら風向きが劇的に変わって敵が焼け死ぬ、って、それ「三国志演義」の赤壁での諸葛孔明のパロディですね(「レッドクリフ」見てて気がつきました)。
神話ですから、非科学的記述のオンパレードです。
ヤマトタケルという歴史上の人物も、たぶん存在しません。
じゃあ、タケル神話も、無意味な作り話か。そんなことはない。これは「建国神話」なんです。ヤマト朝廷の全国征服の軌跡を、この国がどうやって出来上がったかという長い長い歴史を、一人の英雄の感動的な物語に仕立てて、同時に相手(被征服側)のメンツも多少は立つように脚色したものです。
神話は粉飾された物語ですが、単なるフィクションではありません。必ず、もとになる歴史の事実が背後に隠れています。それくらい想像できるのが、オトナってもんです。
草薙の剣の「オリジナル」は熱田にありますが、これは天武天皇のときに剣が天皇に祟ったので、遠くに移した、という伝承があります。なんで天皇家の宝が天皇家に祟るのか、分かりますよね、なんとなく、ここまでの由来を知れば。
というわけで、天皇の手元にある剣は、レプリカです。もちろん、魂が正式に移された「神聖な、ホンモノのレプリカ」です。信仰の対象なのだから、考古学的な価値で云々するものではありません。
熱田にある、ということになってる剣も、ほとんど誰も現実に見たことがないんで、本当に古代からそのままに伝わったものか、本当に存在するものかも含めて、分かりません。でも「そういう信仰がある」というだけで充分なんです。その剣をムリヤリに引っ張り出して放射線測定をやったからって、だから何か? という話なんです。
「神話は、迷信だ」という「科学的な思考」に基づけば、そもそも三種の神器なんんか最初からウソです、ニセモノです。
でも、そういうことじゃあない。これは一種の宗教の領域です。
「神なんか存在しない、魂なんかない」といくら叫んだって、神を信じ、魂を崇める人間は現実にたくさん存在します。そういう人間の信仰を否定するのは、ぜんぜん科学的態度ではありません。
だから「三種の神器」は、今皇居にあるものがホンモノです。
「人は、どういうメカニズムで神話を作り、語るのか」を研究するのは、立派な科学であり、ここには心理学、精神分析学、いろんな分野が関わってきます。
話は、だいぶ逸れましたが。
壇之浦に沈んだ剣が、本当に素戔嗚命やヤマトタケルの時代から受け継がれた現物だっていうのなら、引き上げプロジェクトにも意味があるでしょうけど。沈んだ剣も、今の天皇が持ってる剣も、所詮は「何代目かの身代わり」に過ぎないんです、モノとしては。