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ナベツネさんはなぜ読売新聞の社長になれたのですか?年収は莫大ですか?

fri********さん

2009/5/1401:18:44

ナベツネさんはなぜ読売新聞の社長になれたのですか?年収は莫大ですか?

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jon********さん

編集あり2009/5/1408:09:51

当時の三流新聞読売に入る東大卒なんて、共産くずれで就職のなかったナベツネくらいのもので、後継者補助工作員を探していた正力松太郎(KCIA工作員ポダム)に目をつけられたというところでしょう。ロスチャイルドに隠れて日本を支配したいCIAロックフェラーは抗日活動家文鮮明と組みKCIA宗教統一教会を作り、巣鴨拘置所でCIAに命請いした岸信介児玉誉士夫笹川良一正力松太郎をKCIA統一教会工作員として釈放し、CIAに支援されたバカ大衆育成統一教会メディア読売を育成し、稲川会児玉と八百長試合北朝鮮人力道山担ぎ

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dac********さん

2009/5/1507:46:48

スポーツニュースのコメンテーターが、はずみで年俸一億円と口を滑らしたことがあったが真相不明。

ang********さん

2009/5/1405:48:18

もともとは、共産党員だったから。

以下引用。


2004.6月頃、ナベツネが世に突如浮上し始めた。プロ野球の1リーグ化を廻り指導力を発揮せんとしたが、その独断的権力的手法が批判を浴び、どんでん返しで読売巨人軍のオーナーを辞任することになった。

このナベツネの正体を見破り論述する際には、彼の戦後焼け跡期の共産党入党時の「東大新人会運動」の足跡から追わなければならない。れんだいこには、宮顕同様の変調さが臭って仕方ない。

読売入社後のナベツネの「天下取り」の動きがこれまた興味深い。思うに、「知力、体力、気力」というレベルにおいては相互に遜色無い者達が雌雄を決していく過程で何が決め手となったのであろうか。れんだいこに見えてくるのは、マキャベリズムとも云うべき智謀力、最後に運命力というものもあるような気がする。ナベツネはこの闘争に勝利したが、その彼の決定的な欠陥は、彼をして闘争に嗾(けしか)けた理念つまり自己の実存を歴史において何の為に何を求めて争ったのかという「社会進歩へ向けてのグランド・デザイン」が全く見えてこないことに有るように思われる。「単に権力掌握の為の生の躍動」としてしか伝わってこない。いずれ寿命がある身のものをそういう風に費消するのは虚しいものでしかなろうに、と思うに付きこちらまで虚しくなる。

以下、木村愛二氏の「読売新聞・歴史検証」、「元日本共産党『二重秘密党員』の遺言その7」、「(13-5)最後の「独裁」継承者はフィクサー児玉誉士夫の小姓上がり」、魚住昭氏の「渡辺恒雄、メディアと権力」その他を参照する。

2003.7.10日、2004.8.14日再編集 れんだいこ拝


【東大新人会の「再建」運動】
現読売新聞社長・渡辺恒雄(通称ナベツネ、以下ナベツネと表記する)は、1926(大正15).5.30日、東京都杉並区で誕生している。1939年、13歳のとき私立開成中学入学。1945(昭和20)年、敗戦直前に東京帝国大学文学部哲学科に入り、学徒動員で中断後、まだ旧制のままの文学部哲学科に戻った。終戦後まもなく青年共産同盟に入り、母校の東高に通い大島利勝、氏家、馬場らと戦犯追放運動に乗り出す。

ナベツネが共産党に入ったのは1946(昭和21).10月である。1947(昭和22)年の「2.1ゼネスト」に参加しその過程でマルクス主義運動に胚胎する非モラル性に反発を覚えている。

3.16日の東大細胞会議で、指導部を「党の指示通りにがむしゃらに動き回る『馬車馬的行動主義者』」として批判し、共産主義と道徳の関係を問い直す「エゴ論争」を開始した。それは、「鉄の規律」を尊ぶ党の組織論とこれに参画する側の主体性の優先関係を問うてもいた。これが後に「主体性論争」の口火ともなる。それは「戦後初めて党内で起きた思想闘争として反体制運動史に残る画期的なものだった」(魚住昭「渡辺恒雄、メディアと権力」)。

この時のナベツネの問題提起が次第に支持を集めはじめ、選挙の結果旧指導部が退陣し、ナベツネが東大学生細胞長に選ばれ新指導部を創出している。ナベツネの日記に、「我々は党内の馬車馬分子を駆逐して、勝利するであろう」と記している。しかし、ナベツネ系の指導は文化サークル運動に堕し、やがてこれも武井昭夫ら急進主義系に突き上げられていくことになる。

この頃、読売争議支援の新聞通信単一労組や電気産業労組(電産)の10月ゼネストが盛り上がるも挫折し、翌年には最大の政治エポックとなった2.1ゼネストがマッカーサーの直接干渉で失敗に終わっている。左派労組の全国組織である産別会議の足下では、のちの総評(社会党支持)につながる民主化同盟が動き始めていた。

この両面の激動に対し、ナベツネはどう処世したか。彼は、右派系の民主化同盟と連絡を取りつつ、左派系の青年共産同盟(現在の民主青年同盟の前身)の強化を呼びかける共産党中央の方針に反対活動に精出し始める。

以下略

www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico3.htm -

自民党の番犬を買って出たからです。

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