まあ確かに日露戦争のときの東郷平八郎だとか、児玉源太郎などは、よくやってロシア軍に勝ちましたが、あの当時の戦争は、第二次世界大戦とは規模が全く違うことも考慮に入れなければなりません。
日露戦争の時代は、陸軍には戦車も航空機もなく、トラックさえもほとんどなく、海軍の戦艦というのはせいぜい排水量が一万トンを少し超えるくらいであったのです。
もちろんそれでも非常に複雑で微妙な戦術、戦略が求められたわけですが、第二次世界大戦当時の戦術や、戦略は、日露戦争当時よりはるかに複雑で、大規模なものになっていたのです。
アメリカ軍でさえも、朝鮮戦争では勝利できずに休戦に至り、ベトナム戦争では全面撤退、事実上の完全敗北に至るのです。
つまり第二次世界大戦に比べれば、日露戦争ははるかに単純だったということも言えるのです。
太平洋戦争で勝利したマッカーサーの戦略も、朝鮮戦争では通じず、トルーマン大統領に解任されるわけです。
あるいは、そういうのとは別に、陸軍大学校、海軍兵学校における
「エリート教育」
英才教育、つまり
「学歴主義」
の弊害が指摘される場合もあります。
東郷平八郎の若いころは、海軍兵学校というのはなく、学歴主義も実戦では通用せず、何がエリート教育、英才教育であるかも定かではありませんでした。
もちろん江戸時代の幕末には幕府の旗本だとか、家老というような名門家系のエリートはいましたが、そういう奴らは戊辰戦争で打破されたのです。
東郷平八郎や、大山巌のようなのは、エリート教育ではなく、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争のような実戦で鍛えられた提督、将軍でした。
つまり思考の方式が、机上の空論的ではない、図式的ではない、抽象的ではないのです。
体感的、直感的、経験的なのです。
理論は理論、数字は数字として尊重しつつも、それらを決して絶対視はしないのです。
山本権兵衛が東郷平八郎を連合艦隊司令長官にした理由は、
「東郷は運のいい男だから」
という直感的、体感的なものでした。
しかし太平洋戦争においては、司令長官の人事も、能力よりも海軍兵学校の卒業席次だとか、成績表の数字だとかが優先されることが多かったのです。
艦隊派が対米六割に固執したのも、一種の数字信仰と言えます。内容や質の軽視です。
戦艦・大和の主砲が46㎝砲だから、アメリカ戦艦の40㎝砲主砲に勝てる、というのも、数字至上主義といえる短絡的な思考です。
辻政信のような大本営参謀も、学歴主義、現場無視のエリート教育との弊害と言えます。