子どもの為に身を削れない親は 未熟なのでしょうか。 子どもの為なら死ねるとか、 子どもから親への気遣いほど いらないものはない、とか (いい意味で) よく、子どもの為なら
子どもの為に身を削れない親は 未熟なのでしょうか。 子どもの為なら死ねるとか、 子どもから親への気遣いほど いらないものはない、とか (いい意味で) よく、子どもの為なら どんなことも苦にならない、 そして子どもはそんな親のことを 気にする必要はない、 というものを見聞きします。 しかし私はそうはできません。 頭痛などで体がしんどいと、 中学生の子どもに、 できそうな家事や下の子の世話を お願いするし、 子どもの為に命を投げ出せるか、 自信はありません。 子どもの為にお金を貯めたり 使ったりしていますが、 全力ではなく、 自分の為にも使いたい。 親として、 これでいいのかなぁと 子どもに対して申し訳なく思います。 もっと、親として覚悟を持つべきなのでしょうか。
ベストアンサー
親の役割ってまだ脳も未熟で自分の身体のコントロールもままならぬような幼体の人間に対して、親元を離れて一人で生きることになってもこの世界で生きることができるような術を教えることだと思ってて、 会社で例えれば、子供は社会人1日目で右も左も分からないような新人社員で親はその新人社員の教育係。 子供という新人社員は親という先輩社員の背中を見てこの会社、この社会の生き抜き方を学ぶ。 親という先輩社員は新人社員が一人前の社員としてこの会社やこの社会で生き抜くための術を教える。って感じですかね。 私はそう思っています。 なので、先輩社員として新人社員に教育が出来ているなら 我が身を犠牲にしてでもーっ!!!まで思わなくても問題ないと思います。 社会人として親としてこんな身体の弱い自分が情けないと思うこともあると思うんですが、どうしても無理な時は頼っちゃっていいんですよ。 むしろ、身体が弱く誰かに頼ることを「情けない」とか「ダメな人」だとか言ってしまうのはあまりよろしくないように感じます。 それが口癖になってしまうとお子様も 誰かに頼ること=「情けなくてダメなこと」 と思ってしまうと思うんです。 社会に出れば身体が不自由な方や元々身体の弱い方々などにはたくさん出会うことになると思います。 彼らだって自分たちなりにいろいろ試行錯誤しながら努力しているのは質問者様もよくわかっておられると思います。 それでもどうにもならないことがあるからこそ悩んでいるわけで。 が、誰かに頼ることが情けなくてダメなことというのが定着してしまうと、そういう方々に対して「情けなくてダメな人」だと思ってしまうこともあり得ます。(ならないことももちろんありますが。) お子様にとっても 「身体が弱い人にどう接したらいいのか」 「この世界には元々身体が弱い人がいること」 「身体が弱い人に何をしてあげたら喜ばれるか」 「どうしてもだめなら誰かに頼ってもいいんだ」 などについて学ぶいい機会になると思いますし。
質問者からのお礼コメント
ご回答いただいた皆様ありがとうございました。私の気持ちを肯定していただき安心したと共に、様々な考え方を提示していただき親の在り方について新しい視点で考えることができました。特に先輩のお話は腑に落ちる部分が多く、親というものを必要以上に特別視せず、先に生まれている者として導いていく存在であればいいのかと少し肩の荷が下りました。皆さんのお話を聞くことができて本当に良かったです。ありがとうございました。
お礼日時:5/18 22:57