邪馬台国探しに関連して、「三国史記 新羅本紀」について。 新羅本紀の倭についての記事ですが、紀元前後の記事は九州の勢力。5世紀の記事はヤマト政権と考えます。

補足

そもそも新羅本紀に信憑性が無いという、ツマラナイ回答は要りません。 質問に対するあなたの考えを教えてください。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さまありがとうございました。 またよろしくお願いします。

お礼日時:5/17 8:49

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まず倭の五王を自分なりに読んで理解してみれば良い。本当に畿内なのか?九州なのか?矛盾がわかるよ

ありがとうございます。 もともと倭の五王は守備範囲外だと思って軽視していましたが、当たり前ですが歴史は連続してる訳で。勉強します。

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「旧唐書」も「倭国伝と日本伝」を併記しています。 「新羅本紀」の「紀元670年に、倭国が国号を日本国」に変更したという記事があります!。 「主体」が変わったのは、この時期ですね! 「倭の五王(日本書記の応神―武烈ではなく、讃、珍、済、興、武)」も「隋に使者を派遣した阿毎多利思北孤」も、「白村江に軍隊を派遣した筑紫君薩野馬」も、「主体」が変わる前の「九州倭国の最高権力者達ですね!」。 回答のピントが外れていたらゴメン!

ありがとうございます。 pinさんは邪馬台国九州説でしたっけ? という事は、九州の勢力が畿内に服従したのは相当後の事とお考えですか?

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畿内の「大和:ヤマト」と九州の「山門:ヤマト」 九州(九州と出雲の紐帯)の方が若干早く勢力化したと考えていますが、差はほとんど無く50年~70年程度と思います。 畿内ヤマトは東海と瀬戸内が主体。奈良盆地は天然の要害で国家レベルの高地性集落、これに対し九州は地勢的に弱い。後発の畿内ヤマトを恐れる北部九州が大陸側に認められ援軍を期待出来れば生き残れると考え「倭国を語った」とされる北部九州偽僭説に一票です。 おそらくは神功皇后が成敗した九州の女首長が親魏倭王を騙し取っていたが、女首長が戦死した時点で畿内大和が親魏倭王を奪取したかと。ただし、ここの記述は日本書紀の得意技で違う時代にねじ込んでいると思います。 倭の五王時代には、揉めるネタになる話が無いほど畿内ヤマトで安定していた様子なのでそれ以前でしょう。

ありがとうございました。 5世紀の記事がヤマトである事は九州説でも否定する事はないでしょう。 問題はそれ以前のいつか。なんですよね。

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三国史記は12世紀の朝鮮の史料です。 その史料の記述が、3世紀の倭国の状況を正確に反映しているとは考えにくいです。別に補強証拠がなければ、とても証拠として使えないと思いますけど。