韓国の百科事典を翻訳しました。(翻訳が不自然で、内容に変なところがあるかもしれません)
高麗人とは1860年代から1945年8月15日までの時期に農業移民・抗日独立運動・強制動員などによって現在のロシアおよび旧ソ連地域(ウズベキスタン・カザフスタン・ウクライナ・キルギスタン・トルクメニスタン・タジキスタンなど)へ移住した人と彼らの親族を指す言葉である。「韓国人」という意味のロシア語「カレイツ(Корейцы)」とも呼ばれる。
豆満江の近くに住んでいた韓国人が沿海地方に住み始めたのは1860年以前からだと伝えられている。
しかし、文献には1863年(哲宗14年)韓国の農民13所帯が豆満江を渡って今のポシエト(Posyet)地域に定着してから最初の移住が始まったと記されている。
彼らは地主と官吏の収奪と搾取、横暴を避けて移住した咸鏡道出身の農民だった。
一方、高麗人社会は最初の移住時点を帝政ロシア当局の許可を得てロシアの公式文献に記載された1864年からだと見ている。
ポシエト地域への移住は毎年増加して1868年には165所帯、1869年には766所帯まで増加した。
1860年代から1870年代には沿海地方に多くの韓国人の町ができた。
1882年沿海地方の高麗人の人数はロシア人より多かった。
大韓帝国時代と植民地時代に高麗人は抗日義兵活動と独立運動の先鋒に立って沿海地方は抗争の基地となった。
日露戦争は農民だけではなく、抗日独立運動家などの人の移住を触発させるきっかけとなった。
数万人の高麗人は1908年組織された沿海地方の義兵に参加した。
1910年の国権皮奪(日韓併合)後、民族運動団体を組織して祖国の独立のために献身した。
移住者出身の崔在亨(チェ・ジェヒョン)を始めとして安重根(アン・ジュングン)、洪範図(ホン・ボムド)、李範允(イ・ボミュン)、李東寧(イ・ドンニョン)などの独立闘士も沿海地方で独立運動を展開した。
1920年4月には高麗人社会の求心点であり、抗日運動の本拠地でもあるウラジオストクの韓国人町に日本軍が奇襲して虐殺と防火を犯した事件(四月惨変)が発生した。
1937年、ソ連のスターリン政権は高麗人社会に日本のスパイが浸透することを防ぐためだと言いながら高麗人を中央アジアへ強制移住させた。
強制移住の時、2500人の高麗人が日本のそそのかしを受けたという濡れぎぬを着せられて処刑された。
高麗人は出発の1週前または2~3日前に移住の通告を受けて空身で居住地を離れた。
約18万人が3~4週間シベリア横断鉄道の貨物車に荷物のように乗せられ、約6,000㎞を移動して中央アジアの荒れ地に放置された。
移動中1万~5,000人が寒さによって死亡した。
生活の基盤から追放されたが、高麗人は中央アジアのやせた土地を開拓し、稲作と綿作をして早く定着した。
多くの高麗人のコルホーズが誕生し、1960年代まで人口30万人の高麗人社会は農業分野で200人の社会主義労働英雄を排出した。
強制移住後、1953年スターリンが死亡するまで高麗人は居住移転の自由が制限され、秘密警察の統制を受けた。
国家機関への就業と就学も、政界進出も制限された。
少数民族の言語から高麗語(韓国語)が除外され、高麗人学校は閉鎖された。
高麗人は逼迫の中でも能力を発揮し、未来のために子どもの教育に力を入れた。
1953年、居住移転の制限の解除後、多くの高麗人は都市へ移住し始めて教師・医者・エンジニアなどの専門職に従事した。
1989年、高麗人の都市居住比率は85%に達した。
1991年ソ連が解体されて新生独立国が誕生した。
独立国家の排他的民族主義が台頭し、固有の言語を使い始めてからロシア語を使ってきた高麗人は打撃を受けた。
言語の問題は社会・経済的不平等を招き、高麗人は不利な立場に立たされた。
2000年まで7~8万人の高麗人が沿海地方へ再移住した。
2000年から韓国へ帰還する高麗人が増加し、2010年からは大幅に増加した。
出入国統計によると、韓国国内に居住している高麗人は85,072人(2020年4月基準)であり、国家別比重はウズベキスタンが46%、ロシアが33%、カザフスタンが15%である。
京畿道安山市、忠清南道牙山市、仁川広域市、慶尚北道慶州市、光州広域市などの地域に多くの高麗人が居住している。
2010年11月には〈高麗人同胞合法的滞留資格の取得および定着支援のための特別法〉が制定された。
韓国外交部(外務省)が発表した2019年在外同胞の現況によると、750万人の在外同胞の中でロシアと中央アジアに住んでいる高麗人は約50万人(ウズベキスタン約18万人、ロシア約17万人、カザフスタン約11万人など)に達する。
高麗人は同じ高麗人と結婚する場合が多いため、韓国人に似ているが、2世からは韓国語を理解や駆使ができないことが多い。
特に3~5世は朝鮮民族だというアイデンティティはあるが、ロシア文化に同化されている。
しかし、ニンジンキムチ、そば、アリラン、正月文化など、料理や文化は韓国に似ている。