『偉い』について
『偉い』について ※私のあくまでも個人感情です。仕様もないかもしれませんし、器の小さな事を言っているかもしれません事を承知ください。 ここ数年、偉いってなんだろう?と思う事が多々ありました。 権力を持ってる人。お金持ち。会社の社長。先輩。なんだかの組織を束ねる人。などなど。 そもそも、偉いとは、優れた才能をもった人、地位。などと辞書にはあるみたいです。 でも、それを偉いと思うこと、敬うこと、と言うのは、本人ではなく、人がそう思うからその姿になるものではないのかな?と思うのです。 社長も、偉そうにしてる人、人を見下す人と言うのが多いように思いますが。 何故、偉そうになるのでしょう? 社長をして、何が偉いのでしょう?偉くなると、何故を人を見下せるのでしょう? 社長とは、ただ会社を経営している人。対価を社員に払う人。責任者。 社員は仕事をこなし、その対価を受け取る人。 そうして、会社は成り立つのに、社員が下で、何故社長が上なのでしょう? もちろん、まとめる人がいないと組織は成り立たないですが。 だからといって、何故わざわざ社長が上となるんでしょうか?そして、その地位を振りかざすのでしょう? なんだかの組織の責任者になっただけで、何故偉いという肩書きになるのでしょう? よく、私は、なーに偉そうにしてるんだろう?何が凄いんだろ? て思います。 凄い!て思うのは、人の価値観であり、人が思うことのなわけですよね。 それを、日本の風習?世の中の風習? で、自ら、自分は凄いとか、偉いと思いこんでるだけなのではと思ってしまいます。 謙虚な良い方も中にはいらっしゃることでしょう。 そう言う方の方が、偉い!という地位に、人が決めていくのではないでしょうか? 自分から、俺凄い!って言ってるようなものですよね。
職場の悩み・47閲覧
ベストアンサー
日本には、「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」という諺があります。 実力が付けば付くほど、地位が上がれば上がるほど謙虚な姿勢になる人のことを尊敬の念をもって敬う気持ちを表す諺です。 地位や名誉に関係なく、そういう人間性を持った人のことを「立派な人」と言います。 昭和の時代にガッツ石松というプロボクサーがいましたが、そのお母さんが、「偉くならなくてもいい、立派な人間になって欲しい」と言ったそうです。 母が子に送る言葉として、いい言葉かなと思います。 一般的に地位が上にある人のことを「偉い人」と言いますが、その物差しで人を測るのは意味がなく、単に仕事上の責任の大小を表す言葉だと割り切って、その人が立派かどうかを見てみると、恐らく質問者さんの人を判断する基準と合うのではないかと思います。
1人がナイス!しています