鎌倉殿の13人の壇ノ浦の戦いでの幼き安徳天皇が女に抱き抱えられて入水するシーンは悲しかったです。平氏が負けそうで滅びそうだったら自害する手はずだったんでしょうか?

日本史 | 歴史476閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様回答ありがとうございます

お礼日時:5/23 11:52

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戦ですからね。 本当は流れ矢に当たるなり強盗されるなりして殺されてしまったのだと思います。 ですが、それをそのまま報告したら謀反になってしまうので、平家の人々の手で入水したことにしたのでしょう。

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三種の神器と帝の身柄は、平家にとって最重要のよりどころなわけです。 したがって、どんなことがあってもこの2つは手放さないつもりだったと思われます。 自分たちが滅ぶ時は三種の神器も帝も滅ぶ時だと覚悟はしていたと思います。 特に幼い帝は、平家の人々にとっては帝であるよりもまず平家の一員であるとの認識が強かったのではないかと思われます。 まだ小さかったし、父親の高倉帝はすでに亡くなっていましたし。 最初から自害する手はずだったかどうかはわかりません。ただ、敗戦が決定的となった時、三種の神器と帝の処遇をどうするかについて平家の首脳部で議論が行われてはいないようなので、神器と帝は絶対敵に渡してはならないことは首脳部の間では自明の理であったと思われます。 平家は滅ぶ、一方で神器と帝は絶対敵に渡さない、となると神器と帝は平家とともに滅ぶという答えしか出てこないでしょう。

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幼い天皇と入水自殺は100歩譲って仕方ないと思えるけど、三種の神器も一緒ってのは許せんな。

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まずドラマでは吾妻鏡の説をとり、女性は上位女官です。 勝ち負けは、例えこちらは滅びても、敵の思うままにならない事で一矢報いる事ができます。 義経にとっては大ダメージでした。

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今までの歴史の中で、天皇を殺害したのは、安康天皇を殺害した眉輪王と崇峻天皇を殺害した東漢直駒くらいのもの。天皇でなくなった後も、公然と殺害するケースは無い。自害した天皇も壬申の乱で敗れた弘文天皇の例がある程度。 天武天皇、持統天皇以降には、死の穢れを天皇の身近にもたらすことはほぼあり得なかったのです。 平家がなぜ幼い天皇を道連れの形で殺害(抱いて入水というのは、無理心中という名の殺害です)したのかは、とてもおかしな出来事と言えます。もちろん武家なら、戦に敗れれば、自害したり処刑されたりはあるのですが、そこに天皇を巻き込んだのがとても不思議です。その意味では天皇の外祖母である二位尼の意識が大きかった。彼女はあくまで武家である平家の女当主(当時は実質的に平家のトップリーダーでした)の立場から、自らは死を選び、幼い孫を武家の論理で道連れにした。安徳天皇が武家の頭領の一族であれば、道連れにして生害するのも有りうべきこと。しかし天皇は武家ではなく、死の穢れを忌まねばならぬ存在。追い詰められた尼が頭に血が昇って、まともな判断ができなくなっていたと言うことだろう。あるいは周りにいた公家が全て武家である平家のメンバーばかりだったため、武家の作法しか思いつけなかったという事か。 なので尼が天皇殺しという大逆の罪を犯そうとするのを止めようとする当たり前の天皇側近が誰もいなかったと言うこと。 天皇を殺したのは、その祖母と平家一族ですからね。義経ではない。