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2022/5/16 17:14

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キリスト教においては偶像崇拝が禁止されていますが、イエス像やマリア像などの聖像に向かって祈りを捧げることは広く行われています。

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ベストアンサー

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質問者2022/5/16 19:02

たしかに、一口にキリスト教といっても様々な教派がありますし、個々人によっても考え方はあると思います。もしよろしければ、聖書朗読chさん個人の見解を聞きたいです。また、いずれの教派でもよいのですが、この疑問に関する公式的な見解があれば知りたいです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳細に回答を書いていただいたのでベストアンサーにさせていだきます。 皆様の回答を拝読して、偶像崇拝か否かを判定するにあたり、「礼拝に像や絵を使っているなら偶像崇拝である」という主張と「異教の神に祈っている時点で像や絵の使用に関わらず偶像崇拝である」という主張が混在していることがわかりました。 宗教論争に客観的な結論は望むべくもないのですが、皆様の率直な感想が得られて興味深かったです。

お礼日時:5/22 9:58

その他の回答(12件)

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キリスト教は背教がおこり死ぬと聖書に書かれており、まさにその通りになっているだけだと思います

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質問者2022/5/19 8:40

キリスト教徒はそうは考えていないでしょう。

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以前クリスチャンの知人に聞いたことがあります。 聖書にも出てくる「偶像」というのは「キリスト教ではない宗教が奉じる神の姿」だそうです。 なのでキリスト教に関わる像…キリスト像やマリア像は偶像ではない、という理論だそうです。 但しそういう無理矢理な理論の対極にあるのがイザヤ44:13-17の節です。 しかしそれを現代のキリスト教は「あれはキリスト教以外の…」と嘯きます。 今に至るまでユダヤ教では偶像は禁止しています。イエス様の地位がユダヤ教とキリスト教で違いはあっても「神」は同じです。少なくともキリスト教側は「旧約にもある創造主が神である」と認識しています。 では何故偶像を現代キリスト教は許すのか? 実は許してはいませんよね。唯一「黙認」されているのはミケランジェロの絵画でのみです。 それ以外では「この世を創造しアダムを創造した唯一神」の像はありません。イエス像とマリア像はありますが。 どちらにせよキリスト教の主張は矛盾していると思います。

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質問者2022/5/18 15:44

偶像とかアイドル(idol)とかいった言葉を字義的に解釈すれば、いかに聖像と呼んだとしても、イエス像やマリア像も、他の宗教の神像や仏像と同じように、偶像と呼んで差し支えないですよね。ただ、偶像の前で礼拝をおこなっていたとしても、偶像自体を崇拝しているわけではないという主張には合理性があると私は思います。何を崇拝するかは心の問題なので。もちろん、偶像の前で礼拝を行うこと自体が偶像崇拝であるという主張にも一定の合理性があります。こうなると言葉の定義の問題であり、定義を違えたもの同士が議論しても仕方ないということになるとは思います。

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キリスト教の、その行為は、偶像礼拝です

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質問者2022/5/18 10:49

実際にイエス像の前で祈っているキリスト教徒はそう思っていないのは明白ですが、それに対する是非はここでは問いません。仏像の前で祈るのと何が違うと彼ら彼女らは考えているのかが知りたいのです。

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キリスト教で、偶像崇拝を禁じているのは、、 当時、偶像を生き神の様に、崇拝して、生贄を捧げる様な行為が頻繁に行なわれていた為、禁じられたのだと思います キリスト教では、形式的に偶像を設置したりしているけど、、 日本の、仏教や神道も、同じではないかと言う事ですけど、、 それは、違います 御札等が良い例ですけど、、単なる形だけの気休めではなく、魔除けと思われています

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質問者2022/5/17 22:09

各宗教での禁忌の理由づけにそれぞれ理由があり、また礼拝様式にそれぞれの意味づけがあるというのは、その通りだと思います。

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偶像崇拝の偶像とは異教徒の神や仏そのものを指すわけで、彫像などを拝むことを言うのではないです。 唯一の神以外の何者も神ではなく儡であると言っている。

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質問者2022/5/17 0:58

異教の神=偶像という定義で、偶像崇拝かどうかは礼拝様式とは関係ないという論ですね。比喩としてはその論法もありだとは思うのですが、一般的には偶像というのは神などをモチーフにした物理的なオブジェのことを指すので、その意味で偶像を捉えている人々とは議論が噛み合わなくなってしまいますね。