高2男子です。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

僕の中で1番腑に落ちたのでベストアンサーに選ばせていただきました!! 皆さんたくさん答えていただきありがとうございました!!

お礼日時:5/25 12:01

その他の回答(3件)

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>もう何十年も経っていますし、彼らより優れた作品は数え切れないほどあると思うのですが。 いや、残念ながら、数えるほどしかないと思いますよ。

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漱石や鷗外が教科書に載ってるのは、 それ以後の作品より優れているということではなく、 明治時代の代表者としてではないかなと思います。 明治維新・文明開化があって、 欧米から文学が輸入されて、 漱石鴎外という作家たちがいて、 それから現代の作家があるので、 作品が良いというだけではなく、 文学史を知るという意味でも、 漱石鷗外は教科書から外せないでしょう。 戦後に漱石鴎外より優れた名作があったとしても、 それは戦後の作品であって、 明治期の代表者である漱石鷗外を 教科書から外す理由にはならないと思います。 それから芥川賞も直木賞も、 もともとは新人賞です。 いまも半年に一回選考されていて、 受賞者は量産されています。 ネームバリューはありますが、 芥川賞、直木賞を受賞したからといって 大作家というわけではありません。 出版社も商売ですから賞で話題作りをして 本を売りたいわけです。 そういう賞ですので、 すぐ忘れられる受賞者も多いですし、 死後まで名前が残る人は少ないです。

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>何故彼らの作品は今でも高い評価を受けているのですか? >もう何十年も経っていますし、 何十年も、何百年も経っても、高い評価が変わらない芸術、 それを(広義の)「古典」と言います。 >彼らより優れた作品は数え切れないほどあると思うのですが。 その「数え切れないほどある」「作品」が「彼らより優れ」ているかどうかは、 「作品」が、何十年後も何百年後も変わらず高く評価されるかどうかで決まります。 「今」決まることではありません。 それでも、「彼ら「より」」かどうかはわかりません。 「彼ら「と同列に」」優れているかどうかがわかるだけです。 「源氏物語」と「雨月物語」に優劣を付けることはできないでしょう? 長い方が偉いですか?古い方が偉いですか?そんな基準はありませんよね。 もしも、百年後に、綿矢りさが「古典」になったら、 もはやその時点で、綿矢りさと夏目漱石に優劣を付けることはできません。 >何故現在でも「読むべき」ものとされているのかが分かりません。 教科書にでも載せない限り、現代の中高生が、古典に触れる機会がないからです。 最初は強制しかない。 強制された中から、価値のわかる学生だけが、その価値を見出し、より深く学んでいこうとする。 価値のわからない学生は、それきり、そのまま。 それでいいんじゃないんですか。 チャンスは平等に与えられなければなりません。 それが学校教育の意義です。 どこから、どの生徒から芽が出るのかは、芽が出てくるまでわからないのですから。 >どうせ読むならもっと他に優れた作品があると思います。 その作品が本当に「優れた作品」なら、 何も教科書にまで載せなくても、 先に読んだ友だちが話題にし、ブックレビューを書き、SNSで拡散し、 電車には吊り広告が全車両に並び、 本屋は平台にポップアップを立てて販促し、 映画化され、ドラマ化され、有名アーティストが主題歌を作り、 放っておいても、「誰もが読むチャンス」を得られます。 古典作品は、そうはいかない。 「新奇」なものが何もないから、 たまに新潮文庫とかが「文豪フェア」とかをやるだけです。 ときどき、今更のように「人間失格」がドラマ化されたりするだけです。 「旬の俳優」もあんまり出ません(しまった、言い過ぎた)。 教科書にでも載せなきゃ、 一生、読む機会もなく、つまり、古典に触れるチャンスも与えられないまま、 死んでいく日本人が、圧倒的多数になってしまいかねないのです。 でも、最近の話題作だって、教科書にも載るようになった時代ですよね。 それだけ活字離れが進んでいて、 「放っておいても、「誰もが読むチャンス」を得られ」る現代の傑作でさえ、 「教科書にでも載せなきゃ」読まれない時代が来ているということではないでしょうか。 いわんや古典をや。 >要するに、歴史的な文豪たちの作品は何故読むべきなのか 要するに「古典だから」です。