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そうでしょうか?むしろ、老子の無為無欲とは、かなり遠い生き方をしたと思います。後鳥羽院の後ろ盾があったのに、河合社の禰宜に就任できず、残念な思いを抱えて、出家したのではなかったでしょうか。 『新古今和歌集』に10首が入撰すれば「生死の余執ともなるばかり嬉しく侍るなり」と大変喜んだと『無名抄』に記されています。鎌倉まで下向し、実朝の和歌の師になる運動もしました。実力はあり文才もあり努力した生き方だったと思いますが、無為自然とは遠いように思います。
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ID非公開さん
質問者2022/5/18 22:18