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ウィーン体制を一言で表すと「反動保守」です。それまではアメリカ独立革命,フランス革命といった自由主義と国民主義運動が続きましたが,ウィーン体制によってそれらの動きにストップがかけられます。つまり先の運動で打倒される側だった国王,貴族などが息をふき返しました。この体制はオーストリアの宰相メッテルニヒを中心に確立されました。 各国の詳しい様子↓ ・イギリス 旧オランダ領のセイロン島・ケープ植民地を獲得。 ・フランス ブルボン王朝が復活。 ・オランダ 旧オーストリア領ネーデルラント(ベルギー)を獲得。 ・ドイツ 諸侯国家の連合であるドイツ連邦が誕生,これは国家ではない。 ・オーストリア(ドイツ連邦にも加盟) ロンバルディアとヴェネツィアを獲得。 ・スイス 中立国になる。 しかし,ウィーン体制後も自由主義と国民主義を求める動きは止まりませんでした。たとえば ・ブルシェンシャフトによる改革要求(ドイツ) ・カルボナリの蜂起(イタリア) ・スペイン立憲革命(スペイン) ・デカブリストの乱(ロシア) などが挙げられます。 その傾向はヨーロッパ外でも表れました。ギリシア(当時オスマン帝国領)やラテンアメリカ(当時スペイン&ポルトガル領)でも独立運動〜国民主義〜が起こりました。イギリスは独立を支援する側でしたが,メッテルニヒは反対でした。国民主義運動が高まると多民族国家のオーストリア帝国が分解するかもしれないからです。 よってウィーン体制のような自由主義・国民主義運動を抑圧する動きは民衆の不満を高め,フランス7月革命で爆発しました。
質問者からのお礼コメント
とてもわかりやすかったです! ありがとうございました!
お礼日時:5/22 20:45