信長が大胆に否定していた「伝統的な権威」とはどのような意味でしょうか

補足

日本史資料集の解説にて織田信長が他の戦国大名を圧倒しえた理由のひとつは、伝統的な権威を大胆に否定し、一方で新しい経済や社会を積極的に作ろうとしたとあります。

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ベストアンサー

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文章がわかりずらかったですね。 伝統的な権威→天皇(勅令・勅書等)、寺社勢力の権益でしょうか。 上記の伝統的権威を信長は否定していないという内容です。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

中途半端な質問者に解説、返信ありがとうございます。とても迅速な対応で非常に助かりました。他の方々の回答も自分の学習に参考にさせて頂きます。

お礼日時:5/22 22:56

その他の回答(4件)

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権威を否定していたわけではありません 寺社の権益がどうとか言っている人がいますけど それを否定しているのではなく自分が奪い取ろうとしているだけです ようは寺社に代わって信長がその古い権威のトップになるだけのことです

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織田信長に反抗し挙兵を2度やった 足利十五代・征夷大将軍の義昭を 京都から追放したこと、もってして 足利幕府という権威を織田信長は 否定したことになりませんか。

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織田信長が否定した「伝統的な権威」とは、幕府や寺社だと思います。 これがよく表れた例が「関所撤廃」で、関所は彼らの保護のもと、地域の安泰や活動の保障を目的として設置され、その代償として関銭を徴収していました。 しかし、やがては交通の障害になり、さらに関銭の負担が物価高も生みました。 ただ、信長の関所撤廃も完全ではなく、京都の入口という場所にあった朝廷が管理する「率分関」は残されたままでした。 おそらく、少なくなっていた朝廷の収入を気にしてのことだと思います。

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今で言う老害や既得権益みたいなものじゃないでしょうか 違ってたらすみません

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