ID非公開さん
2022/5/23 17:10
1回答
フランスの第一帝政や第二帝政は共和政 (大統領制) の変形であるといわれることがある。 そ の理由をその成立の過程に着目し、説明しなさい。 この問題が分からないので教えてください。
フランスの第一帝政や第二帝政は共和政 (大統領制) の変形であるといわれることがある。 そ の理由をその成立の過程に着目し、説明しなさい。 この問題が分からないので教えてください。
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ベストアンサー
1789年のフランス革命は急進化しフランスは共和政(第一共和政)になった。 それに対し旧王党派は決して壊滅したわけではなく、一定の勢力を持っていた。 共和政府は革命の進展のため恐怖政治となり、不満反発も増大した。 テルミドールの反動で恐怖政治は終焉したが、共和派、王党派(それぞれ穏健派もいれば急進派もいる)などいろいろな勢力による暗闘で政治は混乱していった。それを打開するため総裁政府、統領政府となり、混乱を収拾しかつフランス革命の理念も失わない強力な人物の登場を人々は希求し、ここにナポレオンが登場する。 ナポレオンは第一統領となり事実上の支配者になり、ついには皇帝になった。 時代は下り1848年の二月革命でできた第二共和政である。ルイ・フィリップの七月王政を打倒したが、このころにはブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立が次第に顕著になっていた。 人々はやはり強力な政治による収拾を望み、ボナパルティズムを掲げるルイ・ナポレオンが登場し大統領になった、 ルイ・ナポレオンはクーデターを起こし大統領権限を強化し、ついには国民投票で皇帝位につきナポレオン三世になった。第二帝政である。 このように共和政での内部対立収拾のための一種の妥協として帝政になったと言える。 「フランスの第一帝政や第二帝政は共和政 (大統領制) の変形であるといわれることがある」とはそういうことであろう。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます
お礼日時:5/26 14:33